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三保真吾

Author:三保真吾
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熊本県出身。
マリスト学園卒業。
武蔵野美術大学卒業。
長男、B型。
現在一児の父。

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2007.12.05 雑記
またまたえらく久しぶりの更新失礼します。
もはやこのブログは生きているのか、我ながら疑問です。
結局11月は投稿しなかったな。。。

昼間の仕事の忙しさにかまけて、といのは半分本当で、
新しい環境にうまく乗り切れていないというのが半分、いや、
その表現も適切ではないな•••。
とにかくつまるところ言葉にならないという状況であります。
精神的なものです、はい。

それでも言葉にできることはきっとあるんですよね。
だけどもなんだかぐじゃぐじゃしていてそれさえ恐ろしく思えているのです。
この感じ、決まって転換期に訪れます。
んーやはりそういうことなのか。

さて、せっかく久しぶりの更新ですので
ちょいとだけ書いてみます。



歴代の高名な哲学者の発見や様々な宗教の教えや真理というものの多くを
僕たちは見聞きすることなく自らの人生の中で
自ずと掴み取ることができるんじゃないか、と僕は思う。

いや、もしかしたら哲学や宗教はそもそも無色なのか?
気づきというものを導くためのメディウムとして作用するのか?
そう扱った方がいいのかもしれない。

深い信仰や探求の地平に見えるものがあるのかもしれないけれど、
揺れ動く己の弱さと怠惰の連続の中にも湧き出てくる真理があるのだ。
僕たちはまぎれもなく、地平のど真ん中に二本足を突き立てているのだ。



論理的であるという言葉が好きじゃない。
論理的であるということは少し傲慢で短絡的である気がする。



得るということは感動的だと思う。
そして、その感動の行方というものが僕は気になってしまう。
どのようにして得たのかということが、得た人間の資質の及ぼす影響以上に
その方向性を左右する気がする。

真理を得るということはさほど重要ではない気がする。
真理とは広がりの一過程の確認事項みたいのものだと思う。
それを得た感動の行方が気になってしまうのは、
せっかく得た真理を覆すようなやり方でふるまってしまうことが
往々にしてある気がするからだ。

ある人がどんな気づきを得ているかということよりも、
その人の手さばきや口ぶりが美しいかどうかということが
よっぽど気になってしまうのは、
おそらくほとんどの人がそうなのではないかと思う。

指先や唇から発せられる微震が無意識にささやくもの。
そこにしびれてしまうということにも
何だか重要な真理がふくまれている気がする。


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げんし

2007.10.05 雑記
ああもうすこしでことばがきえて
ぶるぶるとたましいがはつどうしそう

おおいかぶさるもりをぬけて
ひとつのちへいがみえてきそう

たえぬともしびをたずさえて
さらなるさんがにはないきもあらく

やじんのおたけびをくうどうのからだに
こだましてみたい

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クチニウツロノマコト

2007.09.29 雑記
生まれ持った双眼鏡の経年変化。

様々な虚像が見える、
ようになる。

虚像は必ずしも虚像ではない。
捕える網がある。
実像以上に。

しかし僕らは生まれながらにして知っているのだ。
その存在を。

僕らは見抜けないのではない。
見抜けることを忘れているのだ。

双眼鏡の精度は不変だ。
おそらく信じるまでもなく。

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のどちんこのおく

2007.09.05 雑記
知れば知るほど世のなかにはすごいものがある。
すごい人がいたりする。
くらべるものでもないとわかっていても、
自分の小ささに逃げ出したくなることがやっぱりある。

貧弱な自尊心がのどちんこの奥で行ったり来たりしている。
という恐怖。

一方で、世の中には実に様々な尺度があると、も思う。
一見良いことをしているように思えることも
見方を変えればそうでもなかったり、
なんていうことが多いと思う。
というか、人の手による全ての出来事はそう言っていいと
そう思っている。
だから僕は疑り深い。

少なくとも僕達は幾らかの工夫で
数種類のステージを選び、試すことができる。
それを自由と形容してもいいと思う。
そのステージの上で、自分だけのダンスを踊ることができる、
はずなのである。
誰も見たことのないはずのダンス。

だめだ、あたまがぼーーっとしてきた。
眠りに誘い込まれる森林の淵でこう思う。

勇気とはおそらく、
のどちんこの奥で震え上がっている自尊心を
なんとかなだめるテクニックなんだ、と。

除湿器のおかげで部屋がからっとしている。
ぐわんぐわんという機械音が僕の窓からもれて
暗闇の夜を急かす。
僕は大きな口を開けて朝を待っているんだ。

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ダンボールのフタ

2007.08.30 雑記
毎度のことではあるけれど、
中途半端なままになっていたエコ検定のお勉強。

実は更新を怠っていた間にすでに検定試験は終了していたのです。
僕はといいますと、まあ申し込んだ手前、試験は受けました。
一応ここにご報告しておきます。

公式テキストからほとんどの問題が出されるというにもかかわらず、
楽してポイントだけかいつまんでしまおうと考えた安直な僕は
参考書だけ購入していたのです。
しかしさすがに日も迫ったので過去問と模擬テストの載った参考書を
もう一冊買いました。
それが試験の数日前。

そしてそこでビックリ。

合格基準点には何とか達するものの、
けっこう知らないことが多く、一気に不安になったのであります。
流れとしてはかなりマズイ。
何がマズイって、直前でのこの心理状態がマズイ。

手持ちの参考書の範疇を固めとけばまあ何とかなるか、
そう思う一方、勉強するために試験を受けるんじゃなかったのか!
という何とも懐かしく、青い葛藤。
そんな状態に少しワクワクしながら、
結局前々日になって公式テキストを購入。
この滑稽さをひとつの心理的契機にしなければならない。
というより、それしか方法がないと思えたのであります。
弱い、凄まじく弱い。

200ページにびっっっっっちりの文字。
時間を逆算すると、1回目を通すのが限界。

前日の朝。
ひとまず図書館に向かう。
入口の、持ち込み参考書での勉強禁止の張り紙。
外はしとしと雨。
いよいよ終わったかという心理状態に陥るも、
ひとまずデパートの屋上や喫茶店を渡り歩き、
ここ最近ダンボールに突っ込んで身体の奥底にしまっておいた
集中力を引っぱり出してみる。
やはりけっこうホコリがかぶっている。

そんで迎えた当日。
またも朝一番で喫茶店をはしごしながら、読む。
開始ギリギリにとりあえず読み終わる。
すでに何か大切なことを見失っている気がするも、
とりあえず気付かないふりをして試験開始。

手ごたえは微妙。
フワフワとした疲労感だけを昼間っからまとって、
家に帰る。

で、こういったものはすっかり忘れた頃に届くのであります。

検定試験料を¥5,000も支払い、結局無駄に参考書も買い求め、
ダメな自分を思い出させるような、思いのほか負担の大きかった
この試練をなんとか乗り越え、無事取得しました。
エコピープルの仲間入り、らしいです。
それはちょっとどうなのよ。

試験結果はというと、おぉ過去最高の94点。
オレもやればできる子なんだね。
少しだけ気持ちよくなったので今回の受験は良しとします。

しかしたまには開けよう、ダンボールのフタ。
いざ開けてカビでも生えてたら大変だもの。

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