higomokkosu SHIRTよりお知らせです。
higomokkosu SHIRTは皆様のお力添えのおかげで
オーガニックコットンシャツブランドとして
2年あまり活動してまいりました。
誠にありがとうございます。
これからもこれまで同様、妥協のないシャツづくりを
続けていきたいと思っておりますが、
今後はより広い意味においてのものづくり、表現活動を
行っていきたいと考えています。
活動内容につきましては追ってご報告させていただきます。
また、その関係から現在ネットショップを一時的に閉鎖しております。
商品構成の見直しと新作の準備、そして大幅なホームページの
リニューアルを予定しているためです。
急なお知らせで大変ご迷惑をおかけいたしますが、
ご理解いただけましたら幸いです。
なお、ご質問等は下記アドレスにてお待ちいたしております。
contact@higomokkosu.com
そして、ブログにつきましてもタイトルを
higomokkosu SHIRT日誌からhigomokkosu SHIRT.Blogに
変更します。
内容につきましてはこのようなお知らせやオーナー雑記、
そして正式に言葉による表現活動の枠を設けます。
このあたりは今後の活動の新しい核になるものですので
きちんと整理がついたうえで順次移行する予定です。
ご不明な点も多いかと思いますが、
ひとまず次の形ができあがるまで暫定的処置として
今までのフォーマットをベースにしていく予定です。
今後とも変わらぬ温かいご支援を賜りますよう、
何とぞよろしくお願い申し上げます。
重要なお知らせ
2007.12.24 higomokkosu SHIRT コメント0トラックバック0
光
2007.12.14 雑記
無音のみ届く冷えきった板の間
弓を引く横顔そのままで
まさぐる熱望の対岸
裸眼でもいいのだ
そんな土曜を夢見ている
つまり見境のない衝動
どじょうがでてきてこんにちは
どんぐりころと言う青葉のきらめき
かつてさらされた棚田の航空写真
それがどうしたというのだ
だがしかし連なるはずの呼吸が風の色と調和しない
その影を
飛行機の上から見下ろして
この小さな背中に
僕は
知らぬふりして
嘘をつかずに生きてゆけない
裏切り続けられて生きてゆけるだけの力があるか
それもわからない
そんな僕が君たちに
いったい何を残せるというのか
お父さん
あなたは今でも
例えばこんな想いが
胸をかすめることがありますか
このまま矢にのって
白い息がほほを伝い無言の点々となり
やがて薄い透明になったあと
着地して溶けてなくなる、その瞬間
君たちがそこに立っていてほしい
コメント0弓を引く横顔そのままで
まさぐる熱望の対岸
裸眼でもいいのだ
そんな土曜を夢見ている
つまり見境のない衝動
どじょうがでてきてこんにちは
どんぐりころと言う青葉のきらめき
かつてさらされた棚田の航空写真
それがどうしたというのだ
だがしかし連なるはずの呼吸が風の色と調和しない
その影を
飛行機の上から見下ろして
この小さな背中に
僕は
知らぬふりして
嘘をつかずに生きてゆけない
裏切り続けられて生きてゆけるだけの力があるか
それもわからない
そんな僕が君たちに
いったい何を残せるというのか
お父さん
あなたは今でも
例えばこんな想いが
胸をかすめることがありますか
このまま矢にのって
白い息がほほを伝い無言の点々となり
やがて薄い透明になったあと
着地して溶けてなくなる、その瞬間
君たちがそこに立っていてほしい
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もぐらのあぐら
2007.12.11 雑記
いっちょまえにびびってんじゃねー よ
庭のドクダミの群れ
くどくも毒もなく
いやそれどころか、もっと奥の地中からのこえ
手を伸ばすのだが
どうしようもなく浅い根と
死ねと無念の根毛
かねがね金がねー
派手な部屋の片隅にね
もうきちゃった過去の未来のほこりが
うっすらとつもっているよ、気がついているくせに
何もなかったと言ってしまえば
島根の思い出
すっとしまってしまえば虫眼鏡の焼き付く情動
上等だよく吠える犬だ
無様に死ぬなどと
いっちょまえにびびってんじゃねーよ
コメント0庭のドクダミの群れ
くどくも毒もなく
いやそれどころか、もっと奥の地中からのこえ
手を伸ばすのだが
どうしようもなく浅い根と
死ねと無念の根毛
かねがね金がねー
派手な部屋の片隅にね
もうきちゃった過去の未来のほこりが
うっすらとつもっているよ、気がついているくせに
何もなかったと言ってしまえば
島根の思い出
すっとしまってしまえば虫眼鏡の焼き付く情動
上等だよく吠える犬だ
無様に死ぬなどと
いっちょまえにびびってんじゃねーよ
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た だ
2007.12.11 雑記
そうだった僕には
思想や思考、論理や倫理、本意や真意
そんなものなどあるはずもなく
ただシャツを着て
一枚のシャツを着て
ことばがこぼれ落ちただけだった
ひざのうえで
子供がしゃくりとりんごをかじって
あごをあげて見上げる
それが僕で
それが娘
ただそれだけだった
そして
炊事場でかちゃかちゃと食器を洗っているあなたを
ぼんやりと波打つように
いとしく思っている
ぼくはそのような
男
ただそれだけ
だ
っ
た
な
コメント1思想や思考、論理や倫理、本意や真意
そんなものなどあるはずもなく
ただシャツを着て
一枚のシャツを着て
ことばがこぼれ落ちただけだった
ひざのうえで
子供がしゃくりとりんごをかじって
あごをあげて見上げる
それが僕で
それが娘
ただそれだけだった
そして
炊事場でかちゃかちゃと食器を洗っているあなたを
ぼんやりと波打つように
いとしく思っている
ぼくはそのような
男
ただそれだけ
だ
っ
た
な
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確認事項
2007.12.05 雑記
またまたえらく久しぶりの更新失礼します。
もはやこのブログは生きているのか、我ながら疑問です。
結局11月は投稿しなかったな。。。
昼間の仕事の忙しさにかまけて、といのは半分本当で、
新しい環境にうまく乗り切れていないというのが半分、いや、
その表現も適切ではないな•••。
とにかくつまるところ言葉にならないという状況であります。
精神的なものです、はい。
それでも言葉にできることはきっとあるんですよね。
だけどもなんだかぐじゃぐじゃしていてそれさえ恐ろしく思えているのです。
この感じ、決まって転換期に訪れます。
んーやはりそういうことなのか。
さて、せっかく久しぶりの更新ですので
ちょいとだけ書いてみます。
*
歴代の高名な哲学者の発見や様々な宗教の教えや真理というものの多くを
僕たちは見聞きすることなく自らの人生の中で
自ずと掴み取ることができるんじゃないか、と僕は思う。
いや、もしかしたら哲学や宗教はそもそも無色なのか?
気づきというものを導くためのメディウムとして作用するのか?
そう扱った方がいいのかもしれない。
深い信仰や探求の地平に見えるものがあるのかもしれないけれど、
揺れ動く己の弱さと怠惰の連続の中にも湧き出てくる真理があるのだ。
僕たちはまぎれもなく、地平のど真ん中に二本足を突き立てているのだ。
*
論理的であるという言葉が好きじゃない。
論理的であるということは少し傲慢で短絡的である気がする。
*
得るということは感動的だと思う。
そして、その感動の行方というものが僕は気になってしまう。
どのようにして得たのかということが、得た人間の資質の及ぼす影響以上に
その方向性を左右する気がする。
真理を得るということはさほど重要ではない気がする。
真理とは広がりの一過程の確認事項みたいのものだと思う。
それを得た感動の行方が気になってしまうのは、
せっかく得た真理を覆すようなやり方でふるまってしまうことが
往々にしてある気がするからだ。
ある人がどんな気づきを得ているかということよりも、
その人の手さばきや口ぶりが美しいかどうかということが
よっぽど気になってしまうのは、
おそらくほとんどの人がそうなのではないかと思う。
指先や唇から発せられる微震が無意識にささやくもの。
そこにしびれてしまうということにも
何だか重要な真理がふくまれている気がする。
コメント0もはやこのブログは生きているのか、我ながら疑問です。
結局11月は投稿しなかったな。。。
昼間の仕事の忙しさにかまけて、といのは半分本当で、
新しい環境にうまく乗り切れていないというのが半分、いや、
その表現も適切ではないな•••。
とにかくつまるところ言葉にならないという状況であります。
精神的なものです、はい。
それでも言葉にできることはきっとあるんですよね。
だけどもなんだかぐじゃぐじゃしていてそれさえ恐ろしく思えているのです。
この感じ、決まって転換期に訪れます。
んーやはりそういうことなのか。
さて、せっかく久しぶりの更新ですので
ちょいとだけ書いてみます。
*
歴代の高名な哲学者の発見や様々な宗教の教えや真理というものの多くを
僕たちは見聞きすることなく自らの人生の中で
自ずと掴み取ることができるんじゃないか、と僕は思う。
いや、もしかしたら哲学や宗教はそもそも無色なのか?
気づきというものを導くためのメディウムとして作用するのか?
そう扱った方がいいのかもしれない。
深い信仰や探求の地平に見えるものがあるのかもしれないけれど、
揺れ動く己の弱さと怠惰の連続の中にも湧き出てくる真理があるのだ。
僕たちはまぎれもなく、地平のど真ん中に二本足を突き立てているのだ。
*
論理的であるという言葉が好きじゃない。
論理的であるということは少し傲慢で短絡的である気がする。
*
得るということは感動的だと思う。
そして、その感動の行方というものが僕は気になってしまう。
どのようにして得たのかということが、得た人間の資質の及ぼす影響以上に
その方向性を左右する気がする。
真理を得るということはさほど重要ではない気がする。
真理とは広がりの一過程の確認事項みたいのものだと思う。
それを得た感動の行方が気になってしまうのは、
せっかく得た真理を覆すようなやり方でふるまってしまうことが
往々にしてある気がするからだ。
ある人がどんな気づきを得ているかということよりも、
その人の手さばきや口ぶりが美しいかどうかということが
よっぽど気になってしまうのは、
おそらくほとんどの人がそうなのではないかと思う。
指先や唇から発せられる微震が無意識にささやくもの。
そこにしびれてしまうということにも
何だか重要な真理がふくまれている気がする。
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