higomokkosu GARDEN higomokkosu SHIRT

プロフィール

三保真吾

Author:三保真吾
higomokkosu GARDEN
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熊本県出身。
マリスト学園卒業。
武蔵野美術大学卒業。
長男、B型。
現在一児の父。

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ソバカス

2007.03.31 雑記
そばかすって雀斑って書くらしいけど、
ホントは蕎麦カスなんだと思う。
まったくどうでもいいのだけれども。

親父の足は青白い。ぬめっとしていて気持ち悪い。
気がつくとそっくりの足になっている。
足ばかりではない。
僕もそうなのだが、妙に肌の色が白い。
不健康そうなのである。

そういうこともあってか、顔にはソバカスである。
ほんとどうでもいいことなのだが、思春期の頃は何となく
気になっていたように思う。
あの頃ってなんだか危険ですよね。
鏡ばっかり見ていた気がする。
その向こうに何を見つけようとしていたのか、
今でもわからないけれど。


鏡越し浮いては消えて沈んでは滲むソバカス追えよ追え追え


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淡色

2007.03.30 雑記
昼過ぎに2軒目の託児所を見学に行き、
その足で近くの公園に桜見物に出かけた。

託児所はやはり一長一短で、預けてしまえばどうってことない
ことなのかもしれないが、最初はやっぱりあれこれ気になるのね。
まあいずれにせよ来月中にはデビューと相成る予定。

毎度更新されつつも記憶の奥底に培われてきた春のイメージを
そのまま再現したような、そんな春の陽気である。
途中おやつとシートを買ってちょっとした花見気分を味わう。
春休みということもあり、たくさんの子供達や
桜と菜の花をフィルムに納めようとカメラを向ける人達がいた。

黄色のカラーボールを買ってあげると、
娘は大はしゃぎだった。
飽きることなくずっと駆けずり回っていた。
そのテンションと体力にまったくついてゆけない。

南から吹いてくる暖かくて力強い風が
みるみるうちに桜の花のつぼみをこじ開けていく。
町中が淡く気品のある香りに包まれるようだ。
菜の花のなんとも言えない野原の香りと混じりあう部分は
さらに心踊るような色彩をイメージさせる。
写真を撮っている人はこの香りを閉じ込めようとしているのではないかと
ふとそんなことを想像した。

淡色の春風が自転車に乗ったかみさんと娘の細い髪の毛を
ふわふわと揺らして遊ぶ。
僕達の町にも春がやって来た。
いつもより少しだけ強くペダルを踏むよ。

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黄砂

2007.03.29 雑記
今年は例年にも増して黄砂がひどいという。
暖冬のせいで雪が少なかったせいらしいのだが、
まったく異常気象に関しては話題に事欠かない。

そう言われてから余計に気になるのだが、
ここのところなんだか喉がイガイガする。
喉が弱い僕は人一倍ダメージを被っているのかもしれない。
九州にいる頃はそんなこと気にしたこともなかったのだが。

黄砂というものが世の中にあって、
中国の砂漠から砂が飛んできて霞んで見えるんだと初めて聞いたのが
いつだったか憶えていないけれど、その時は絶対に嘘だと思った。
正直言うと、未だ信じられない。

中国のもっともひどい地域では視界数メートルだという。
テレビの映像などを見ると、皆顔を布で覆っている。
世界には知らないことがたくさんあって、大変な暮しがあるのだと
やっぱり思ってしまう。

しかしまあ地球規模の異常が原因であるから、
大なり小なりあったとしてもこのままではいずれ降り掛かってくる
ことは間違いないのですが。

国なんてものを軽く飛び越えてしまう黄色い砂が発している警告を
霞む景色の向こう側にしっかりと見据えなければ。
降り掛かっているのもが砂のうちに気がついたほうがいいことが
確かにあると思う。

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無題

2007.03.28 雑記
あうんのこきゅうで爆発したい

いのちの出どころ、果てるとこ

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クレイ爺

2007.03.27 雑記
またまた行ってしまった、D2に。
D2はデーツーと読むらしい(嘘かもしれない)。
無論ホームセンターである。

ここのところ、何かと理由をつけて足を向けてしまう。
過熱しやすいタチゆえソワソワするのである。
夢中になってしまう。

夢中になるということを英語では「CRAZY」と表現すると知ったときには
なんだか恥ずかしいような思いがした。
別に悪い言葉ではないのだけれど、
どうしても狂気のイメージがつきまとう言葉である。

リュックを背負って自転車で出かけ、鉢を買いに行く。
行く前からおそらくそうなるだろうと思ったのだが、
今回はカモミールの苗を買ってしまった。
小ぶりの鉢を3つほど買ってリュックに押し込み、
鉢の中にそっと苗を忍ばせると、ずいぶんいびつなかたちの
リュックになってしまった。
そんなでこぼこの重いリュックを背負って自転車で帰る。
オレはいったいどこに向かっているのか。

うちにつくなり苗を植え変え水を撒き、
部屋に寝そべって頭だけベランダに出し、彼等を眺める。
いや、彼等の成長に思いを馳せるといった感じである。
もはや老人の盆栽である。

アイムクレイジー・・・
とんがったものをそっと内に秘めたジジイになりたい。

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マジメイヤユトリイブクロ

2007.03.26 雑記
たかだかそんなもんだろと不マジメになってもみなければ
なにもかもがイヤになってしまいそうだと
そう思えるだけのユトリは持っていたほうが
やはりいいんじゃないかと
君のイブクロは深夜語りかけてきませんか
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2007.03.25 雑記
酒の肴というと、いかに酒をうまく飲むかという
そのための引き立て役のようになっているが、
近頃はそれは案外逆なんじゃないかと思わないでもない。

うちの子供は健康優良不良児で、あいかわらず深夜まで
一緒になって起きているし(親が悪い)ろくに飯も食わない。
飯に関しては話によるとどこも似たり寄ったりなそうなのだが、
自分がつくったわけでもないのに食べてくれないと腹が立つ。
逆に勢いよく食べるとなんだかものすごく嬉しくなる。
これはおそらく本能的なものなのだろうけれど、
自分の子供に限ったことではないようにも思う。

人生の先輩方(特に年輩の方)に食事をおごってもらうことがある。
自宅に招き入れて食事をご馳走してくださる方もいる。
そうすると食べたことないような旨いものを食わせてくれるわけで、
僕達はもうすっかりテンションがあがりっぱなしで、
それこそものすごい勢いでがっついてしまう。
そうするとたいていの方はそれを見て大変に喜んでくださる。
食いっぷりを肴に酒を飲まれるのである。

友人との愉快な話を肴に酒を飲むだとか、思い出話を肴に酒を飲むだとか
はたまたひとりで物思いにふけりながら酒を飲むことがある。
僕達は肴を楽しむために酒を口に運ぶのだ。

そう考えるとマズイ肴しかないときは酒など飲むべきではないと
やっぱり思えてくる。
愚痴だ逃避だなんていうマズイ肴は酒を不味くするばかりでなく、
まったくもって健康に悪い。

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熱狂の庭

2007.03.24 雑記
マイブームは何ですか?と聞かれれば、
ガーデニングです、と答えざるをえない、
そんな我ながら似合わない状況に確かに立っておるのです。

ハーブに狂いつつあると言っていい。
寝ても醒めても鉢植えのアイツらのことが気になってしょうがない。
最近の愛読書は「ハーブ辞典」である。
気色悪くないですかね、僕。

休みの日になるとホームセンターに出かけたくなるのです。
今日も思わず出かけてしまいました。
で、またもや貸し出し軽トラなのであります。
新しくわが家にやってきた仲間は、山椒とローズマリー。
とてつもなくイイ香りです。
培養土と有機肥料と種まき用の土、それに鉢を幾つかと片手用の鍬。

山椒とローズマリーを鉢に移し替え、先日買ったシソと大豆の種を鉢に蒔く。
種はかなり余ってしまったので、急きょ庭の一部を耕し、残りの種を蒔く。
いよいよわが家の庭も趣を変えてまいりました。

育ったからといって何に使うかこれといって決めていませんが、
とにかくうまく育っておくれよ、おまいら。

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認可外、マイペース

2007.03.23 雑記
自分に子供ができるまで、保育園に子供を預けるということが
こんなにも大変なことだとは思いもしなかった。
大変であるというのは、預けたくても預かってくれないという意味である。

僕達が子供の頃は、皆一様に保育園か幼稚園に通っていたものだが
(全国共通かどうかはわからないけれど)
今は必ずしもそうではないみたい。
預けようと思っても、母子家庭や育児休暇中の人が優先で、
なかなか順番がまわってこないのである。
特に小さい子は手がかかる分、募集枠も少なく、
もともと間口が狭いということもあるのだけれども。

それでもやはり4月になると順繰り進級するわけで、
一年のうちでももっともチャンスが巡ってくる季節である。
わが家としてもこのチャンスには大いに期待していたわけであるが、
その期待虚しく審査からもれてしまった。

で、同じように子供を持っている知人の方々の話を聞くと、
やはりどこも同じようで、最初は託児所に預けていたという人が
やっぱり多かった。
そういうわけで、わが家も認可外の託児所を幾つかあたってみることにした。

そうと決まれば話は早く、今日候補場所のうちのひとつに
話を伺いに出かけた。
保育園と比べると専用の庭がなかったりもするのだが、
市の助成金も受けれるし、むしろ働く親にとっては融通がきく部分も多く、
思っていたよりも不安なところは見当たらなかった。
園長先生も気の優しそうな方だったし。
ここに決め手もいいと思ったのだけれども、あと何軒か見てから決めようと
思っている。
来月の半ば頃からはいよいようちの娘も小さな社会にデビューすることに
なるのかしら。

園長先生から話をきいている途中、娘はほかの子と一緒になって
アンパンマンの映像を見ていたのだが、気がつくとひとりがけの椅子に
大柄な格好でリラックスして座っていた。
もともと物おじするほうではないのだが、
まったくマイペースにもほどがあるよ、君。

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傷心シェフの壁のうらがわ

2007.03.22 雑記
昨日のことになるのだが、
夜になって原宿、千駄ヶ谷に出かけた。

学生時代の友人から別の用件で電話がかかってきた折に、
長年連れ添った彼女との別れを迎えたという事実を聞かされ、
急遽彼の自宅で飲もうという運びになった。

別の友人と原宿で待ち合わせ、別件の用事を済ませた後、
千駄ヶ谷の彼の自宅に向かう途中にある「Kurkku」に立ち寄る。
初めて行ったのだが、ものすごくいろんな展開を見せているのね。
カフェあり、雑貨屋あり、本屋あり、植物まで売ってたり。
内容はともかくとして予想以上の展開にびっくり。
勢いがあるな〜と感心した。

途中ビールなどを買って彼の家に到着。
よく考えると何とも滑稽なのだが、彼がディナーの腕を
ふるってくれるという手はずになっており。
着くなりビールとワインで乾杯(でいいんだよね)し、
結局キッチンテーブルを3人で囲んで傷心シェフの料理を堪能する。
なかなかの腕前であった。

まあ男女の中であるからして色々とあるわけで、
とにもかくにも彼の今後に期待するよと我々は激励するのだが、
少しばかり酔っぱらった彼の口からこぼれおちたのは
我々の予想をはるかに越えた、実にライトで愉快な言葉だった。

彼の名誉のためにもその内容は伏せておくとして、
少なからず彼の人生の転機となったであろうこの事実の上に
そんな愉快な言葉がちょこんとのっかっている様がなんとも可笑しく、
彼の懐の深さをまじまじと見せつけられた我々であった。

すっかり酔っぱらっていつもの終電に揺られながら
土臭いという言葉がぴったりの彼の風貌と、初めて訪れた彼の自宅の
どこかがらんとした景色を僕達は思い出していた。

地震が来たらものすごく揺れるというそのマンションはさすがに古く、
味わいのあるものであったけれど、その部屋の壁の一枚裏側には
何かキラキラしたものが確かに息づいている、そんな気がした。

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つぼみ

2007.03.21 雑記
わが家の庭は古いマンションにしてはそこそこ広く、
小さな子供が遊ぶには十分なくらい。
賃貸なので元々はオーナーの方が住んでいた物件で、
築30年ゆえにまわりに住んでいる方々も年輩の方達ばかり。
気合いを入れて庭づくりしているところが多く、
洋風、和風問わずそれは立派な庭ばかりなのです。

ところがわが家の庭は芝生が植えてあるくらいで
わりと広いスペースが確保してあります。
おそらくオーナーさんが引越すときにほとんど
持っていっちゃったんでしょうが、それはかえって
僕達にとっては好都合でした。

去年はちょこっとハーブを植えたくらいでしたが、
今年はもっといろいろ植えてみようと思っております。
ハーブは鉢植えに切り替えることにして、庭を少しずつ
畑化しようと目論んでいます。

手始めに先日買ったみょうがを植えることに。
みょうがは日陰のわりとじめっとしたところを好むため、
庭の端の方を耕して有機肥料を施し、植え付けました。
けっこうな量の苗(というか根っこ)があったので、
よくばってそこそこのスペースをみょうが畑にあてました。
うまく育ってくれるといいのですが。

そういえば実家の裏庭にもみょうがが生えていました。
ひいじいさんが摘んできては食卓にのぼっていたような
ぼんやりとした記憶があります。
確かに陽のあたらないところに生えていたように思います。

みょうがは花が咲く直前のつぼみ?を食べるわけですが、
早朝の花が咲く前に摘まなければならないみたい。
朝早く起きるということが少々不安ではありますが、
「あー咲いちゃったよ」とならないようにしたいものです。
ま、うまく育てばの話なのですが。

天麩羅に味噌汁それに薬味として。
夢は膨らむばかりなのであります。

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木蓮

2007.03.20 雑記
思わずびっくりする花がある。
力強い枝の先に突然現れる白い魂のような花、
モクレンである。
この花の洋名はマグノリアというらしい。
モクレンは漢字で書くと木蓮なのだが、
洋名になるとセクシーで情熱的な体格のいい外人女性みたいな
名前である。二度びっくりしてしまう。

そのモクレンが至る所で咲き始めている。
花が咲くまでは気にも止めなかった木なのだが、
こんなところにもあったのかとつい立ち止まって眺めてしまう。
白い花ばかりだと思っていたのだが、紫やピンク、黄色い花を
咲かせる品種もあるらしい。
しかしやっぱり白がいいのではないかと思う。

うちのかみさんもこの花が好きらしい。
そういえば先日行ったホームセンターにもすでに花を付けた苗木が
売られていた。
いつの日になるかわからないけれど、
僕達家族が根をおろす場所が見つかったなら、
庭にはこの木を植えてみようとそんなことを思った。

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無題

2007.03.19 雑記

ポケットの手触りのいい包み紙

しわがれた僕たちのへその緒

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柔らかさ

2007.03.18 雑記
他の夫婦と比べてどうなのかわからないけれど、
かみさんとは色んな話をする。
もちろん大抵はくだらないことばかりなのだけれど、
それでも時々は真面目な話もするわけで。

真面目な話というのもよくわからないけれど、
例えば何かをきっかけにして、平和とか戦争とか、
まあそんなことについて話をしたりする。

うちのかみさんに限ったことではないけれど、
女性というものは存在がとても柔らかいと思う。
話をしていても男性と話をしているときとは
会話の成り立ち方がまったく違ってくる。
お互いの言葉の振動がつくり出す空間の色めきというものが、
何とも柔らかく仕上がってしまうのだ。
それは女性の本能というか賢さというか、
いわゆる女性らしさというものそのものであるような気がする。
こんなことを言うと女性蔑視だと言われてしまうかもしれないけれど、
それはまったくの誤解で、男性である僕の立場から言うと、
そういう柔らかさというものを目の当たりにすると、
もうかなわないとそう思ってしまうのである。

例えばいきなり知らない人間が家の中に入ってきてナイフを突き付ける。
その後どんな顛末が待っていたとしても誰も一切の恨みを残さない。
世界に平和が訪れるとしたらそういうことなんじゃないかな。
そんな極端なことを僕が話すと、かみさんはうーんとだけ言った。

世界の平和はやっぱり女性の手の中にあると思う。

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あやふや

2007.03.17 雑記
家にいると、ついゴロゴロしてしまう。
目がさめるとかみさんは化粧を終えて自分のふとんを
干したり洗濯物を片付けたりしていることが多い。
これ、逆だったらむかつくと思うのですが、
かみさんはすっかりあきらめているらしい。
呆れ返っていると言ったほうが正しいのかもしれない。

娘も僕がいつまでも寝ていると、一緒になって寝続けている。
僕のからだからはネムネムのオーラが出ていると、
かみさんに言われる。僕もそんな気がする。

いつの間にか優柔不断になってしまったと思う。
これまで完全深夜型の生活で、それ以外考えられなかったのだが、
やっぱり朝型のほうがいいのではないかと思ったり、
いやいや実際ムリでしょとか、家族の健康のためにはとか、
でもやっぱり深夜の静かな時間にしか考え事できないよとか、
まあそれひとつとってもあやふやなままズルズルとやっているわけです。

優柔不断になってしまったとそう思ったのだが、
もしかしたら本来そうだったのかもしれない。
これまではそのことにすら気がついていなかっただけかもしれない。
そう考えると自分の未熟さにいよいよ滅入ってしまう。

ある人が「こうだ!」と言う。
また別の人が「いやいやこうだよ」と言う。
そんなとき僕は、世界とは様々な解釈があるものだなと、
のんきに感心などしている。
この態度は僕の基本思想を成す根幹のひとつだと思っている。
世界というものを汲み取るにはより多くの意見があってしかるべきだし、
より広い解釈が必要であるということ以外に立脚点が見出せない。
それはえてして曖昧な態度を導き出すのだけれども、
何か開き直ったように明解な答えを口にするのは何だか恥ずかしい。

昼まで寝てようやく起き上がると、かみさんが朝食(昼食)を
用意してくれる。
それをむしゃむしゃと3人で食べて、下手するとまた昼寝に突入する。
別段疲れているわけではないのだけれど、そんな時間の楽しみ方を
30手前にして手放せずにいる。
娘にはそんな堕落の遺伝子が組み込まれていないことを切に願うばかりだ。

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リベンジ

2007.03.16 雑記
去年はとうとう叶わなかったモヒートの夢ですが、
今年は反省を活かしてちゃんと育てます。うん。

で、ここのところめっきり暖かくなってきたので、
新しい苗を植えることに。
家から自転車で10分ほど行ったところにある
ホームセンターに家族3人で出かけ、
スペアミントの苗はもちろんのこと、
オレガノ、タイム、レモンバーム、ラベンダー、シソ、
大豆にみょうがも一緒に購入。
みょうがってビニールに入った根っこが陳列されてるのね。

去年は肥料などもいっさい与えず、庭にそのまま植ただけ
だったので(それで育つはずがない)今年は土を買って
鉢植えにすることにしました。なので鉢も購入。

結局カート一杯に買うはめになったので、
貸し出し軽トラを借りる。
子供がハンドルを握らせろと相当にぐぜる。
そんなこんなでようやく家についたらいつもの夕闇。
急いで鉢に土を仕込んで植え替える。
横から娘がしきりにちょっかいを出してくる。

本を見ながらなれない手つきでなんとか終えると
味気なかったベランダに小さな鉢が愉しげに並びました。
そして鉢に植えられた小さな苗を眺めると、
何とも愛おしく、愛着が湧いてくるではありませんか。
これ、はまっちゃいそうです、僕。

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煌めき

2007.03.15 雑記
あるツールを習得するということや
ある欠損部分を修復し続けるということに
人生の多くを費やすということは、
大変に億劫なことであるように思えるのだけれども
よくよく考えてみれば、それ以外の時間など
誰の人生においてもほとんどありはしないのではなかろうかと、
そう思ったりもする。

「僕達はとにかくうんざりしてしまって、
 既存システムが崩壊していくということに、
 不安とそれと同じくらいの期待感を抱いているのだ。」

歴史が語る真実が本当に正しいのかどうか、
自らの手で確かめてみたいとそう思ってしまう人間は
案外少なくないと思う。

僕達が知っている幾つかの痛みの他にも、
世界にはいろいろな種類の痛みがあるのだということを
例えばテレビを見て知っていたりするのだけれど、
その手触りというものをやはりどこかで感じてみたいと
そう思っているのだ。
無論それは痛みに限ったことではないけれど。

キラキラと輝く人生というものがあるとして、
それはやはりその人の放つ気の煌めきそのものなのだ。

雑然とそんなことを考える。

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発熱

2007.03.14 雑記
そのままでは意味を成さない布に
生命の誕生の様を象ったような戸惑いのはさみを入れ、
ヒリヒリとした表面が少しだけ温もりを帯びる。

恥じらいの糸がスルスルとミシンの道順をたどって
ものすごい早さで上下する鉄の針の先端で
やはり微熱を帯びたままふたつの布をつなぎ止めていく。

大地から作物を汲み取る農夫や、
様々なカタチの命を配置し直すシェフ、
預言者としての芸術家達と同じように、
服をつくるということもまた、本来神の領域の出来事なのだと思う。

発せられた熱を感じ取っているはずの素肌の感覚を
つい思い出してしまうような存在がある。

その存在としての服をつくってみたい。

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僕達は戦うことでしか生き延びていけないのか

2007.03.13 雑記
ずいぶんあったかい冬だとすっかり油断していたら
ここ最近めっきり寒いではありませんか。
こっちはもう勝手に春を迎える気分でいたというのに。

巷ではインフルエンザがやはり流行っているようです。
僕達がこどもの頃はインフルエンザなんて
ただの風邪の一種でしかなかった(という認識しかなかった)
のですが、最近では全然違うみたい。

毎年襲ってくるヤツらのパワーが増しているのか、
僕らの人間としてのパワーが弱っているのか、
僕にはわかりませんが、どうも後者であるような
気がします。

人間の天敵はウイルスだということになっているようですが、
抗生物質のダムの崩壊なんて言葉を聞くと、
やはりゾッとしてしまいます。
新しいウイルスが現れるとその度にそれに効く抗生物質が発明され、
ほとんどのウイルスは根絶やされるのですが、一部抗体を持った
ウイルスが突然変異しまた襲い掛かってくる。
そのいたちごっこが人類とウイルスの長い歴史なわけですが、
なんというかここにもひどい絶望感となんとも言えない虚無感が
やはり漂っているわけです。

僕達は戦うことでしか生き延びていけないのか。
そんな生温い理想論をやはり捨て切れない自分がいるのです。

一見豊かになったように見える社会のほんの裏側には
僕達が知らない、もしくは意識的に目を背けているうんざりするような
生命の攻防戦が明らかに存在しているにもかかわらず、
僕達は忙しいフリをしてその事実を知らなかったことにしようと
やっきになっているわけで。

生きるということには意味があるのだと信じることで
目をつぶっているのだと、実際のところ僕達は気がついているのです。
しかしそれは皮肉なことに、生命と死のダイナミズムについて、
無自覚になっているということでもあるわけです。

生きるということは人生を謳歌するということと同義だと
長らく信じられてきた気がします。
しかしその自己完結型の思想がゆえに、世界には不平等や戦争が
巻き起こっていやしないでしょうか。

僕達は戦うことでしか生き延びていけない。
それを無防備に全肯定してしまうということが引き起こしたであろう
現在の社会の構成要素について、僕達はもういちど深い思慮と
想像力をもって立ち向かわなければならないと思います。

僕の生命を長らえることで失われたかもしれない誰かの生命について。

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無題

2007.03.12 雑記

背景の手触りが喚起する微震

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チンカチンカ

2007.03.11 雑記
かみさんが酒を飲めるようになってから、
めっきり晩酌をする機会が増えた。
これをおぼえると外で飲むのがなんだかおっくうに思えるから
誠に不思議である。

わが家は生協のパルシステムに加入しているのだが、
先日ついにビールを箱買いしてしまった。
いつも飲んでいるモルツがたまたまお買得だったのよ。
しかしストックがあると思うといつもに増して冷蔵庫に
手を伸ばしてしまう。
こうしてブログを書いている今も、手元には
「チンカチンカのルービー」がそっと佇んでいる。

しかし風呂上がりのビールというものは極めて危険である。
ウマ過ぎる。これは習慣にしないほうがいい。
せめて週に2、3回・・・いや、やめとこう。
これ以上思いつめてしまうと僕のこころはヤツに支配されてしまう。

シュワシュワの魅惑的な君よ、
一気に飲み干して寝てしまうよ。

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ワンピース?

2007.03.10 雑記
2回めの娘の誕生日にはシャツではなく
ワンピースをプレゼントした。
ワンピースというよりはジャンパースカートと言えばいいのか
そのへんはよくわからないのだけれども、
とにかくノースリーブのやつ。

後ろ身頃が重ねになるデザインで、
両腕を通したあと2枚の後ろ身頃をそれぞれ脇のリボンでとめる。
素材はオーガニックコットンとオーガニックリネンのコンビ。
リバーシブルになっていて、表はシンプルなリネンで
裏は生成りとグリーンのストライプのオーガニックコットン。
表には一切ステッチがでない仕様なので、
なんだかよそいきみたいな上品な仕上がりとなった。

むすめもかみさんもとても気に入ってくれた。
しばらくはよそいきの定番となりそうである。

春先には素材を変えて商品化する予定です。
どうぞお楽しみに。

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無題

2007.03.09 雑記

ささくれと北斗七星むねのきず

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ときめき

2007.03.08 雑記
初めて酒を飲んだのがいつだったか
はっきりとは憶えていないけれど、
その時の僕がどんな気分だったのか、鮮明にイメージできる。

なぜ鮮明にイメージできるかというと、
おそらくそれは心の準備をする間もなく突然訪れて、
その時の僕は何とも言えない非現実感に飲み込まれ、
その事実にフワフワと陶酔し、ときめいてしまったからだ。

何事もほどほどがいいというのはおそらく本当で、
それはつまり、そのときめきをなるべく長く
味わっていられるための工夫なのだと思う。

これはもちろん酒に限ったことではなく、
美味しい食べものや、愉しい出来事、人間関係にも
同じように言えることだと思う。

人生の終わりの淵に立たされた瞬間というものをふと想像してしまう。
めくるめく走馬灯の中に、喜びや悲しみ、憎しみやときめきが
一体どんなかたちでどれだけちりばめられているだろうかと。

グラスに注がれた一杯の安い酒がある。
死ぬまでに何度も何度も口に運ぶ酒である。
時に甘く、時に苦い酒である。

繰り返し繰り返し送るなんてことない日々があるとして、
そんな人生は果たして切ないだろうか。

ときめきは僕達のものだ。

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2才

2007.03.07 雑記
今日は娘の2回めの誕生日だった。

まだ2回めであるし、恒例ということでもないのだが、
去年同様動物園に出かけた。
前回は上野動物園に行ったが、今年は千葉市動物公園に。
ここはレッサーパンダの風太君がいることで有名らしい。

千葉駅からモノレールに乗り換え、最寄り駅に到着。
平日ということもあるだろうが、薄暗い駅に人気はなく、
一瞬「休館日」という言葉が頭をよぎる。
モノレールの車内から見える動物園手前の遊園地では
どのアトラクションも動いている気配がない。

不安な気持ちのままとりあえず入口に行くと、普通にやっている。
少子化で動物園の運営も大変なのだなと、
余計なことまで考えてしまう。

園内に入るとまずサルのコーナーがある。
あとで聞いた話だが、ここの動物園はサルの種類が多いことでも
有名らしく、確かに見たことないようなサルがたくさんいた。
信じられないような動きや毛並みや顔つき。
人間に近いぶんなんだかびっくりしてしまう。

僕もかみさんもとりわけゴリラに感動してしまった。
どう見てもボスらしきゴリラがどっしりと座ってこちらを見ている。
筋肉のカタマリのような肉体と透き通った瞳である。
なぜか人間よりもずっと進化した生き物のように思えた。

その後はゾウの前で写真を撮ったり、
キリンを見たかみさんに「そっくり」などと言われながら、
こども動物園というコーナーに。
噂の風太君の子供達(?)やペンギンや牛。
そしてネズミやヤギには実際に触れることができた。
もちろん娘にとっては初めての体験だったのだが、
まったく物おじすることなく、ハツカネズミやモルモットを
抱えては嬉しそうな声をあげた。

ヤギや羊のいるスペースでは、おもむろに座っているヤギに近づき
背中を撫でる。その次の瞬間、いきなりヤギにまたがる娘!
この度胸はだれ譲りなのか。

最後はモノレールから見えた遊園地へ。
地方にありがちななんとも寂し気な、それでいて懐かしくもある
あの独特の雰囲気。嫌いではない。

別に乗ることもなかったのだが、観覧書やメリーゴーラウンド、
ゴーカートなどに乗る。
驚いたことにいずれも貸し切りで、それぞれの入口に行くと
おばちゃん達が動かしてくれた。すごい。

いずれも娘にはまだ早かったらしく、ちょっとこわそうな面持ち。
一番喜んだのはよくあるパンダの乗り物。
僕とふたりでまたがったのだが、結局2回も乗った。

きれいに整備された園内は広さも程よく、
思ったよりもずっとよかった。
人も少ないしね。

娘はというと、入口で借りたベビーカーを押すのが楽しかったらしく、
結局ずっと押してまわった。
見たこともない動物達を目にして時折「あーいー(かわいい)」と言い、
去年にくらべるとずいぶん反応するようになったけれど。

来年の今日はどの動物園に出かけて、娘はどんなことができるように
なっているのだろうか。
そんな未来をやはり、ふと想像してしまった。

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無題

2007.03.06 雑記
分度器とふたりの夜空と陽炎に

生命保険をねぇかけてみて

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手元が狂う

2007.03.05 雑記
人生設計という言葉が苦手である。
将来の計画を綿密に立てているヤツは無気味だと思う。
あまり喋るとさらに僕のろくでなし加減を露呈してしまうばかりだが、
実のところ保険というのもよくわからない。
生命保険なんていうものが本当にこの世の中にあるということを
未だにどこかで疑っている。

手元が狂うと、そう思うのである。
指先から放たれる気というものが、確かに存在するのだと
そう思っている。
そしてそれは、今この場所でこの瞬間にしか存在しないものだと思う。
今この瞬間に集中しなければ良い気は放たれない。

未来とか将来というものは僕達を容易に夢の世界に運んでくれるけれど、
一方で少しだけ僕達の足の裏を、地面から浮き上がらせてしまう。
そんな気がするのだ。

未来というものの扱い方をどうするのかということは
とても重要なことだとやっぱり思う。
未来に投資することや保険をかけることも結構なことだが、
大切なことは今自分の手元に全身全霊を賭けて集中するということだ。
そして少しだけ未来というものにぼんやりと憧れるということだと
そう思っている。

僕は人生の成功者でもなければ、どこかの偉人に聞いたわけでもないのだが、
世の中のどうも共感できない大人達の生き様を眺めていると、
ついついそんなことを思ってしまうのだ。

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無題

2007.03.04 雑記

速達で届いた胸のトゲトゲを

やさしく包んでライスペーパーで

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2007.03.03 雑記
去年浅草橋で買った雛人形が、
今日また押し入れの一番奥にしまわれる。

桃の節句である。

いわゆる女の子らしい格好というものが、
例えばフリルとかスカートとかピンク色とか、
なんだかそういうものがこっぱずかしくて、
娘は未だ「ぼくちゃん」と言われたりする。

何が恥ずかしいって、何というか子供服っておおげさでしょ?
特に女の子の服はこれでもかってものが多い。
無駄なものが多いというか、単純というか、
洗練されていないのが嫌なのよ。
子供に失礼だと思うのね。
まぁ大なり小なり親のエゴに違いありませんが。

無垢でとてつもないエネルギーに満ちた子供には、
シンプルでそれでいて芯のある服というものが
やっぱり似合う気がする。
ほんとうに素敵な人が着るなんてことない白いシャツが
ものすごくかっこいいように。

服を選ぶという感性がとても大切なものだと思うのは、
それが服を着る中身の人間との対比というか調和を
基調としているからだ。

わが家の小さなお雛様は艶やかで品のある着物を着ている。
その顔は実に穏やかで透き通った表情だ。
娘がそれを見て何を感じ取っているのか、まだわからないけれど。

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角、知らず知らず

2007.03.02 雑記
立方体は今日もいつも通り正6面体で、
そしてそれとまったく同じ理由で僕のアタマの中は
なんだかぐわぁんとしている。
もしよろしければ、右の耳の穴から覗きこんでみませんか。



サイコロの8つの角のそのうちの

ひとつしか見えない本当は



ケチくさいことばかりが詰め込まれた部屋の壁は、
まるで喫煙室のそれのように、べったりとヤニが染み付いて、
絶望的な色をしているのだ。
それはそれで美しいなどと思うのは多分よしたほうがいい。
それは許すということとは似て非なるものであると思う。

縁側の老人のように暮すということが恐ろしいなどと、
一体誰が決めつけているのか。

よくわからない化学物質で痺れてしまうような刺激に満ちた日常を
わざわざ手に入れるようなそんな馬鹿げた思い込みを僕ら、
知らず知らず、知らず知らず選んでいる気がする。

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2007.03.01 雑記
子供はこう思う。

自由とは何も望まないで済む心の在り様だから、
きっと人はこれ以上何も望まないで済むために、
何もかもを手にいれようとするんだ。
そうだよね、お父さん。

父親はこう応える。

不様な人間になってはいけないよ。



毎度のことながら、早いもので3月に突入しました。
今年はとうとう冬が来なかったようですね。

不安定な天候が続いております。
季節がら、ただでさえ体調を崩しがちなので
気をつけなければ。
巷では遅ればせながらインフルエンザが流行っているみたい。
恐ろしや・・・

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