もうすぐ2才になる娘とも、
ようやく言葉のキャッチボールができるようになった。
父「じゅーちゅでいーい?」
娘「いーよ」
そうして1月が終わる。
もう戻らない日よ、サヨウナラ。
少しだけ淋しいけれど、大丈夫。
転がるように走っていく君の小さな後ろ姿が
僕達は大好きだよ。
ボールのゆくえ
2007.01.31 雑記 コメント0トラックバック0
勇気
2007.01.30 雑記
暖冬、暖冬と言いますが、冬であることに変わりはなく、
やっぱり寒い。
うだるような夏の暑さなど
そんなもの経験したことがないことかのように
まったく思い出せない。
イメージさえできない。
朝布団から抜け出すのに
一年分くらいの勇気を
使っているのではないかと思う。
もしそれが本当だとしたら、僕のからだの中には
相当の勇気が眠っていることになる。
ぅおぉっ!!
冬の朝が好きだ。
自分の中にある余計なものが凍てついて
少しだけ神聖な気分が降ってくる気がする。
ということはつまり
僕は冬の朝、無敵だということだ。
ぅオォッ!!
コメント0やっぱり寒い。
うだるような夏の暑さなど
そんなもの経験したことがないことかのように
まったく思い出せない。
イメージさえできない。
朝布団から抜け出すのに
一年分くらいの勇気を
使っているのではないかと思う。
もしそれが本当だとしたら、僕のからだの中には
相当の勇気が眠っていることになる。
ぅおぉっ!!
冬の朝が好きだ。
自分の中にある余計なものが凍てついて
少しだけ神聖な気分が降ってくる気がする。
ということはつまり
僕は冬の朝、無敵だということだ。
ぅオォッ!!
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波
2007.01.29 雑記
なんというか、このブログにも波がありますな。
ついつい力が入ってしまう時が続くかと思えば、
全然脱力している時もある。(ほとんどそうか・・・)
僕の場合どういうわけか、
文章を書く時はほとんど頭が働いていない。
頭が働いていないという言い方が正しいのかどうか
頭の中を見たことがないのでわわらないけれど、
ほとんどリズムで書いているというか、
意識のもう一枚外側で書いているというか、
うまく言葉で説明できないけれどそんな感じ。
まあ、そういうわけでいつもデタラメな文章になっているのだと
思うのですが。
書きはじめるまではタイトルなんて思いも付かないし、
手が動き始めたその後に文章がうまれるといった感じ。
我ながらいいかげんだと思いますが、
そのいいかげんさを許さなければまったく言葉がでてこない。
困ったものです。
このブログそのものが意味など持ちえているはずもないのですが、
更新が遅れている、遅れているなどと嘆きながらも、
脳波的にはいい波がでているのではないかと思わなくもない。
まあそういう意味では自分にとってはいい刺激ではないかと、
結局その程度しか思いつかないのです。
コメント0ついつい力が入ってしまう時が続くかと思えば、
全然脱力している時もある。(ほとんどそうか・・・)
僕の場合どういうわけか、
文章を書く時はほとんど頭が働いていない。
頭が働いていないという言い方が正しいのかどうか
頭の中を見たことがないのでわわらないけれど、
ほとんどリズムで書いているというか、
意識のもう一枚外側で書いているというか、
うまく言葉で説明できないけれどそんな感じ。
まあ、そういうわけでいつもデタラメな文章になっているのだと
思うのですが。
書きはじめるまではタイトルなんて思いも付かないし、
手が動き始めたその後に文章がうまれるといった感じ。
我ながらいいかげんだと思いますが、
そのいいかげんさを許さなければまったく言葉がでてこない。
困ったものです。
このブログそのものが意味など持ちえているはずもないのですが、
更新が遅れている、遅れているなどと嘆きながらも、
脳波的にはいい波がでているのではないかと思わなくもない。
まあそういう意味では自分にとってはいい刺激ではないかと、
結局その程度しか思いつかないのです。
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線について
2007.01.28 雑記
僕の服づくりの師匠はよくこんなことを仰っていた。
線をひく。あぁいい線がひけたと思う。
ところが次の日になると、あんなにいいと思っていた線が、
全然気に入らない。
だからまた新しい線をひくのだ、と。
僕はこれはひとつの真理だと思っている。
真理とはやはり揺らめいているもののようだ。
すべての学問は詰まるところ
真理の探究ということを目的としているわけで、
学問の分類などというものは単にアプローチの仕方の
ちょっとした差でしかないわけだけれども、
やっぱり大切なことは真理というものを虫かごに捕らえるような
乱暴な方法では、そのしっぽさえ見えやしないということを
身を持って知るということだと思う。
学者だけの話であるならまだしも、
世の中を見渡すと、あたかも真理はひとつなどと言い放つ人が
なんと多いことだろう。
よりによってそういう人間ほど価値があると重宝され、
そういう捉えかたを嫌う人間は優柔不断で、
決断力のない人間だと片付けられてしまう。
これはとても重大な問題であると思う。
先生の手元からのびる震えるほど美しい線を、
今でもはっきり憶えている。
「あら、こっちの線のほうがいいみたい」と言いながら、
今頃上海で美しい線をひかれているはずだ。
「本当のこと」は、今も揺れ続けている。
もしかしたらそれはゆりかごのように、
僕達のまわりを包み込むようにしてあるのかもしれない。
そして僕達はそれを追求するという言葉を使って、
そこに寄り添っていたいと願う存在なのかもしれない。
60年間も線をひき続けてこられた先生の姿を思い浮かべて
ふとそんな光景を想像してしまう。
コメント0線をひく。あぁいい線がひけたと思う。
ところが次の日になると、あんなにいいと思っていた線が、
全然気に入らない。
だからまた新しい線をひくのだ、と。
僕はこれはひとつの真理だと思っている。
真理とはやはり揺らめいているもののようだ。
すべての学問は詰まるところ
真理の探究ということを目的としているわけで、
学問の分類などというものは単にアプローチの仕方の
ちょっとした差でしかないわけだけれども、
やっぱり大切なことは真理というものを虫かごに捕らえるような
乱暴な方法では、そのしっぽさえ見えやしないということを
身を持って知るということだと思う。
学者だけの話であるならまだしも、
世の中を見渡すと、あたかも真理はひとつなどと言い放つ人が
なんと多いことだろう。
よりによってそういう人間ほど価値があると重宝され、
そういう捉えかたを嫌う人間は優柔不断で、
決断力のない人間だと片付けられてしまう。
これはとても重大な問題であると思う。
先生の手元からのびる震えるほど美しい線を、
今でもはっきり憶えている。
「あら、こっちの線のほうがいいみたい」と言いながら、
今頃上海で美しい線をひかれているはずだ。
「本当のこと」は、今も揺れ続けている。
もしかしたらそれはゆりかごのように、
僕達のまわりを包み込むようにしてあるのかもしれない。
そして僕達はそれを追求するという言葉を使って、
そこに寄り添っていたいと願う存在なのかもしれない。
60年間も線をひき続けてこられた先生の姿を思い浮かべて
ふとそんな光景を想像してしまう。
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デタラメ
2007.01.27 雑記
左利きなのではないかと思っているのです。
娘は上手にスプーンを使ったり、
色えんぴつでデタラメな絵を描いたりするのですが、
どうも左手のほうが勝手がいいみたい。
そもそも利き手って遺伝的なものなのでしょうか。
それとも習慣によって後天的に選択されるものなのでしょうか?
それがどちらであるとしても、まあ日本人は右利きが多いので
社会そのものも右手前提の仕組みがやっぱりあたりまえに
なっているわけです。
僕達が子供の頃は、箸は右手とか習字は右手なんていうふうに
ある種矯正されることってわりとあたりまえだったように
思うのですが、こういうことって今でもそうなんでしょうか。
なんとなくそういうことが不自然だという人が多そうな
気がしなくもないのですが。
僕は美大に通っていたのですが、
やっぱりというか、左利きの人が割合的にとても多かった。
で、そういう友達の話を聞くと、
ボールを投げるのは右手だけどボールを蹴るのは左足とか、
はさみは左手だけどカッターは右手とか、
人によってはそれが逆だったりとか、
様々であることに驚かされたものです。
で、さらに驚くのは、そういうことに驚いている自分が
あたりまえのような顔をして「在る」ということ。
人というものは多数派であればあるほど、
鈍感になってしまうのかもしれません。
物心付いたときからすべて右利きだった人間と、
たまたま左利きだった人間って、
単に右脳とか左脳とかいうことではなく、
社会というものの認識の仕方が全然ちがうんじゃないかと
右利きの僕はそう思ったりするのです。
右利きの人間は、左利きってカッコイイなと
憧れを抱いたりするものですが、
もしかしたらそういう左利きの人間特有の眼差しというものに
向けられたものではなかったのかと思ってしまいます。
さて、娘がこのまま左利きであるとしたのなら、
僕は彼女に対してどんな言葉で語りかけるでしょうか。
少なくとも、それが右手から生み出されたものであったとしても、
左手からこぼれ落ちたものだとしても、
彼女が描くデタラメな線に「おお!いい線だね」と
やっぱり微笑みかけてしまうのではないかと思うのです。
本当のところ世界は優しいんだよと、
そんな想いをのっけてしまうのではないかと、そう思うのです。
それはとてもデタラメな態度かもしれませんが。
コメント0娘は上手にスプーンを使ったり、
色えんぴつでデタラメな絵を描いたりするのですが、
どうも左手のほうが勝手がいいみたい。
そもそも利き手って遺伝的なものなのでしょうか。
それとも習慣によって後天的に選択されるものなのでしょうか?
それがどちらであるとしても、まあ日本人は右利きが多いので
社会そのものも右手前提の仕組みがやっぱりあたりまえに
なっているわけです。
僕達が子供の頃は、箸は右手とか習字は右手なんていうふうに
ある種矯正されることってわりとあたりまえだったように
思うのですが、こういうことって今でもそうなんでしょうか。
なんとなくそういうことが不自然だという人が多そうな
気がしなくもないのですが。
僕は美大に通っていたのですが、
やっぱりというか、左利きの人が割合的にとても多かった。
で、そういう友達の話を聞くと、
ボールを投げるのは右手だけどボールを蹴るのは左足とか、
はさみは左手だけどカッターは右手とか、
人によってはそれが逆だったりとか、
様々であることに驚かされたものです。
で、さらに驚くのは、そういうことに驚いている自分が
あたりまえのような顔をして「在る」ということ。
人というものは多数派であればあるほど、
鈍感になってしまうのかもしれません。
物心付いたときからすべて右利きだった人間と、
たまたま左利きだった人間って、
単に右脳とか左脳とかいうことではなく、
社会というものの認識の仕方が全然ちがうんじゃないかと
右利きの僕はそう思ったりするのです。
右利きの人間は、左利きってカッコイイなと
憧れを抱いたりするものですが、
もしかしたらそういう左利きの人間特有の眼差しというものに
向けられたものではなかったのかと思ってしまいます。
さて、娘がこのまま左利きであるとしたのなら、
僕は彼女に対してどんな言葉で語りかけるでしょうか。
少なくとも、それが右手から生み出されたものであったとしても、
左手からこぼれ落ちたものだとしても、
彼女が描くデタラメな線に「おお!いい線だね」と
やっぱり微笑みかけてしまうのではないかと思うのです。
本当のところ世界は優しいんだよと、
そんな想いをのっけてしまうのではないかと、そう思うのです。
それはとてもデタラメな態度かもしれませんが。
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ムクムク
2007.01.26 雑記
ここしばらくいろいろなことを
頭であまり考えないようにしていたのですが、
そうすると何となく大事なんじゃないかということが
しっくりとあるべき場所に収まってくるような気がします。
気というものが何なのか僕にはよくわかりませんが、
気を練るということは、そういう穏やかな心の
有り様そのものなのではないかと、想像したりします。
そろそろムクムクと体が動き出すような気がしています。
コメント0頭であまり考えないようにしていたのですが、
そうすると何となく大事なんじゃないかということが
しっくりとあるべき場所に収まってくるような気がします。
気というものが何なのか僕にはよくわかりませんが、
気を練るということは、そういう穏やかな心の
有り様そのものなのではないかと、想像したりします。
そろそろムクムクと体が動き出すような気がしています。
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顔を洗う
2007.01.25 雑記
根っからのめんどくさがり屋の僕は、
なんといっても風呂に入るのがめんどくさい。
独り暮しをしていた頃は、今よりずっと
その回数が少なかった気がします。
ここでそんなグータラな素性を告白してもしょうがないのですが、
(いつも読んでくださっている方はすでにご存知ですよね)
開き直って申し上げれば、冬場などは2日に1回くらいで
充分ではないのかと、そう思っているのです。
潔癖とまではいかないにせよ、
日本人の多くは少しばかり清潔依存症であると、
やっぱり思わないではないのです。
顔にはたくさんの細菌がいて、
その映像のおぞましさに根拠のない恐怖感をおぼえ、
必要以上に顔を洗う人がいるなんていうことを耳にすると、
ちょっと行き過ぎだろうと思うのです。
何でもそうですが、無意識に選択してしまっている
意識というものが、はたして本当に正しいのか、
行き過ぎていやしないだろうかと検証する、もしくは
なんとなく気が付くという感覚がとても大切なのではないかと
そう思います。
これは何も顔を洗うということだけに言えることではありませんが。
熱狂するということのキラメキと、
足下を見つめるということの穏やかさを
バランスよく人生に配置するということが、
ひとりの人間にとっても、そのまわりの環境にとっても
重要なことであると誰だって本能的に気が付いている
はずなのですが。
「顔を洗う」ということは大切ですね。
風呂はいって寝ます。
コメント0なんといっても風呂に入るのがめんどくさい。
独り暮しをしていた頃は、今よりずっと
その回数が少なかった気がします。
ここでそんなグータラな素性を告白してもしょうがないのですが、
(いつも読んでくださっている方はすでにご存知ですよね)
開き直って申し上げれば、冬場などは2日に1回くらいで
充分ではないのかと、そう思っているのです。
潔癖とまではいかないにせよ、
日本人の多くは少しばかり清潔依存症であると、
やっぱり思わないではないのです。
顔にはたくさんの細菌がいて、
その映像のおぞましさに根拠のない恐怖感をおぼえ、
必要以上に顔を洗う人がいるなんていうことを耳にすると、
ちょっと行き過ぎだろうと思うのです。
何でもそうですが、無意識に選択してしまっている
意識というものが、はたして本当に正しいのか、
行き過ぎていやしないだろうかと検証する、もしくは
なんとなく気が付くという感覚がとても大切なのではないかと
そう思います。
これは何も顔を洗うということだけに言えることではありませんが。
熱狂するということのキラメキと、
足下を見つめるということの穏やかさを
バランスよく人生に配置するということが、
ひとりの人間にとっても、そのまわりの環境にとっても
重要なことであると誰だって本能的に気が付いている
はずなのですが。
「顔を洗う」ということは大切ですね。
風呂はいって寝ます。
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世界会議
2007.01.24 雑記
自分が子供を授かってからもうすぐ2年が経ちます。
(おなかの中にいるときの日数を入れると3年弱か)
誰でもそうなのかもしれませんが、
最初はまったく実感が湧かない。
特に男親はそうなのでしょうね。
子供が育って歩くようになって、
自我というものを目の当たりにしてようやく
ひとりの人間として見れるようになりました。
そうするとやっぱりかわいいな、と思うのです。
これは不思議なもので、自分の子供がかわいいというだけでなく、
子供そのもののかわいらしさというものに気が付くといった
感覚なのです。
町中で見かけるよその子もわが子同然にかわいい。
それはつまり、僕の中に目覚めてしまった感覚で、
なんとも不思議な気持ちになるのです。
よく親は子供に親にしてもらうなんて言いますが、
きっとこういうことなのでしょうね。
世の中には子供がいる人もいればいない人もいるわけですが、
少なくともこういう感覚を持った人がたくさんいるわけで、
そう考えると世界の平和というものはなぜ実現しないのかと、
ちょっとだけ不思議になります。
世界中の難しい問題を話し合う席に、
わが子をひざの上に抱いて出席する、なんていう会議が、
ひとつくらいあってもいいのではないかと、
そう思ってしまうのです。
コメント0(おなかの中にいるときの日数を入れると3年弱か)
誰でもそうなのかもしれませんが、
最初はまったく実感が湧かない。
特に男親はそうなのでしょうね。
子供が育って歩くようになって、
自我というものを目の当たりにしてようやく
ひとりの人間として見れるようになりました。
そうするとやっぱりかわいいな、と思うのです。
これは不思議なもので、自分の子供がかわいいというだけでなく、
子供そのもののかわいらしさというものに気が付くといった
感覚なのです。
町中で見かけるよその子もわが子同然にかわいい。
それはつまり、僕の中に目覚めてしまった感覚で、
なんとも不思議な気持ちになるのです。
よく親は子供に親にしてもらうなんて言いますが、
きっとこういうことなのでしょうね。
世の中には子供がいる人もいればいない人もいるわけですが、
少なくともこういう感覚を持った人がたくさんいるわけで、
そう考えると世界の平和というものはなぜ実現しないのかと、
ちょっとだけ不思議になります。
世界中の難しい問題を話し合う席に、
わが子をひざの上に抱いて出席する、なんていう会議が、
ひとつくらいあってもいいのではないかと、
そう思ってしまうのです。
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マズロー
2007.01.23 雑記
詳しいことは知りませんが、
マズローの説。
食物連鎖のピラミッドのように、
人間の欲求というものにもヒエラルキーが存在するらしい。
以下、上位より。
自己実現の欲求
自我の欲求
親和の欲求
安全の欲求
生理的欲求
生理的欲求と安全の欲求は
人間の根源的な欲求で、
食欲、性欲、物欲、金銭欲などを表すらしい。
その内容は例えば快適性、安全性を表示するもの。
親和の欲求は他者との同様、集団帰属意識を表す。
例えば流行やブランド品など。
自我の欲求は自分が集団から価値のある存在と認められ、
尊敬されたいという意識を表す。
自己実現の欲求は自己の能力や可能性を発揮したいという意識。
下位に位置する欲求が満たされると、
必然的に上位の欲求を満たしたいという欲求が芽生えるらしい。
この説がいつの時代に確立されたものなのか知らないけれど、
なんだかものすごく時代錯誤な気がしなくもない。
制約の多い社会に生きる人間がまず下位に位置する欲求を抱く事は
なんとなくわかるのだけれども、
例えば今の日本のように、だれもが上位の欲求を抱くことができる
社会に生きる人間が、下位の欲求を手放しているとは思えない。
まあこの説が正しいとか間違っているとかそういうことが
言いたいわけではないのだが、
僕達のように上位欲求を手にしてしまっている人間というものが
何とも強欲で、はしたない人間のように思えるのは
気のせいでしょうか。
いや、実際のところそうなのでしょうけれど。
自己実現の欲求というものの内容如何であるということなのでしょうが、
それがピラミッドの頂点のように閉じたものではなく、
広がりを持ったものであるということが重要である気がする。
うまく言えないのですが。
で、マズローってだれ?
コメント1マズローの説。
食物連鎖のピラミッドのように、
人間の欲求というものにもヒエラルキーが存在するらしい。
以下、上位より。
自己実現の欲求
自我の欲求
親和の欲求
安全の欲求
生理的欲求
生理的欲求と安全の欲求は
人間の根源的な欲求で、
食欲、性欲、物欲、金銭欲などを表すらしい。
その内容は例えば快適性、安全性を表示するもの。
親和の欲求は他者との同様、集団帰属意識を表す。
例えば流行やブランド品など。
自我の欲求は自分が集団から価値のある存在と認められ、
尊敬されたいという意識を表す。
自己実現の欲求は自己の能力や可能性を発揮したいという意識。
下位に位置する欲求が満たされると、
必然的に上位の欲求を満たしたいという欲求が芽生えるらしい。
この説がいつの時代に確立されたものなのか知らないけれど、
なんだかものすごく時代錯誤な気がしなくもない。
制約の多い社会に生きる人間がまず下位に位置する欲求を抱く事は
なんとなくわかるのだけれども、
例えば今の日本のように、だれもが上位の欲求を抱くことができる
社会に生きる人間が、下位の欲求を手放しているとは思えない。
まあこの説が正しいとか間違っているとかそういうことが
言いたいわけではないのだが、
僕達のように上位欲求を手にしてしまっている人間というものが
何とも強欲で、はしたない人間のように思えるのは
気のせいでしょうか。
いや、実際のところそうなのでしょうけれど。
自己実現の欲求というものの内容如何であるということなのでしょうが、
それがピラミッドの頂点のように閉じたものではなく、
広がりを持ったものであるということが重要である気がする。
うまく言えないのですが。
で、マズローってだれ?
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ogurusu
2007.01.22 雑記
4、5年前はエレクトロニカばっかりを好んで聞いていた。
Autechreがその火付け役で、Aphex Twinには心底衝撃を受けた。
ちょうどその頃は世界的にもエレクトロニカの勢いがよくて、
今なんかとは比べ物にならないくらいリリースもあったし、
何といっても実験性に富んでいたと思う。
その頃はすごくはまっていたので、オタクみたいだった。
アーティストの系譜やレーベルなんかにもずいぶん詳しかった。
いまではもうすっかり忘れてしまったけれど。
テクノというジャンルにおいては
日本人は優れたアーティストが多いと思うのだが、
当時はエレクトロニカでもおもしろい人がたくさんいた。
僕が中でも好きだったのはogurusu norihideだ。
彼のCDは今でもよく聞いている。
OVALやgelも好きだったけれど、
結局は穏やかさを内包した彼の音に落ち着いて、
僕のエレクトロニカブームは去った。
程なくして世間的にも衰勢したように思うのだが、
僕が単純にチェックしなくなったからかもしれない。
アナログギターの音色の美しさを知ったのはogurusu norihideに
出会ってからだ。
彼、もう新譜出さないのだろうか。
僕は今でもすごくファンなのだけれども。
コメント0Autechreがその火付け役で、Aphex Twinには心底衝撃を受けた。
ちょうどその頃は世界的にもエレクトロニカの勢いがよくて、
今なんかとは比べ物にならないくらいリリースもあったし、
何といっても実験性に富んでいたと思う。
その頃はすごくはまっていたので、オタクみたいだった。
アーティストの系譜やレーベルなんかにもずいぶん詳しかった。
いまではもうすっかり忘れてしまったけれど。
テクノというジャンルにおいては
日本人は優れたアーティストが多いと思うのだが、
当時はエレクトロニカでもおもしろい人がたくさんいた。
僕が中でも好きだったのはogurusu norihideだ。
彼のCDは今でもよく聞いている。
OVALやgelも好きだったけれど、
結局は穏やかさを内包した彼の音に落ち着いて、
僕のエレクトロニカブームは去った。
程なくして世間的にも衰勢したように思うのだが、
僕が単純にチェックしなくなったからかもしれない。
アナログギターの音色の美しさを知ったのはogurusu norihideに
出会ってからだ。
彼、もう新譜出さないのだろうか。
僕は今でもすごくファンなのだけれども。
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メモ
2007.01.21 雑記
人生とは大切なことに気が付いて、
そしていつの間にか忘れてしまう、
その連続そのものだと言ってしまったら
それは言い過ぎでしょうか。
僕はよく本屋に行く。
けれどなかなか買わない。
心にひっかかる何かがなければ買わない。
そのかわり、響いてしまった本は何度も読む。
絞り出すように読む。
それは気が付いた大切なことを
なるべく深いところに染み込ませるような作業だ。
急がなければ損をするという価値観から
自由なところで生きようと思っているのだから、
無意識に自分を急かすのはやめよう。
仮に何かを失うとしても、
ゆっくりとした足取りと穏やかな心ですごす日々の
暮しの尊さを知るのも僕自身であるのだ。
そんなことを思い出すことができたので、
書き留めておこうと思う。
コメント0そしていつの間にか忘れてしまう、
その連続そのものだと言ってしまったら
それは言い過ぎでしょうか。
僕はよく本屋に行く。
けれどなかなか買わない。
心にひっかかる何かがなければ買わない。
そのかわり、響いてしまった本は何度も読む。
絞り出すように読む。
それは気が付いた大切なことを
なるべく深いところに染み込ませるような作業だ。
急がなければ損をするという価値観から
自由なところで生きようと思っているのだから、
無意識に自分を急かすのはやめよう。
仮に何かを失うとしても、
ゆっくりとした足取りと穏やかな心ですごす日々の
暮しの尊さを知るのも僕自身であるのだ。
そんなことを思い出すことができたので、
書き留めておこうと思う。
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「ここに暮らす。」展
2007.01.20 雑記
荻窪にある「カフェギャラリーひなぎく」に行きました。
シャツを買ってくださった方が展示をされるということで、
家族3人でがちゃがちゃと出向きました。
このカフェのことはそれまで知らなかったのですが、
駅から歩いて5分くらいの中央線沿線にひっそりと佇む
なんとも趣のあるカフェ。
味わい深い木の店内には、古本や小物も置いていて、
そして奥のちょっとしたスペースがギャラリーとなっています。
残すところわずかですが、展示のご案内。
「カフェギャラリーひなぎく」のページをそのまま転載します。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
秋光さやか 「ここに暮らす。」展
すてきな写真も絵も、雑貨もありません。
けれども、気持ちいい暮らしのしっぽがあります。
暮らしのしっぽ、つかんでみてください。
誰かが気持ちいいと思ったことを、
また他の誰かにつなげていけたら良いなと思います。
かわいいことは何もないけれど、
一瞬に捕らえられない日々の暮らしの喜びは、
あなたの暮らす、「ここ」にあるのです。
今までに出会った、暮らしの同級生や先輩に、
参加・協力して頂いています。
「くろねこかしや」
http://www17.ocn.ne.jp/~hinagiku/
「foodmood 」
http://www.foodmood.jp/
「petit a petit」
http://blog.goo.ne.jp/burikiboshi/e/074f3d6819236452ba8dec4f47a59452
「ノラヤ」
http://www.ne.jp/asahi/cat/nora/index.html
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
1月19日(金)〜23日(火)
「カフェギャラリーひなぎく」
http://www17.ocn.ne.jp/~hinagiku/hinagiku.html
何とも言えない穏やかな空気の流れるステキな展示です。
「ここに暮らす。」展 特別メニューの
ほうじ茶と蒸しパンセット(スイカ糖付)。
必ず食べてください。激ウマです。
子供は暴れるわ僕は長話しをするわで
かなり迷惑な客だったと思います。
秋光さん、この場をかりてお詫び申し上げます。
店をでてすぐに、「あ、写メ撮っとけばよかった」と思う。
いつになったらブログ上手になれるでしょうか。
コメント0シャツを買ってくださった方が展示をされるということで、
家族3人でがちゃがちゃと出向きました。
このカフェのことはそれまで知らなかったのですが、
駅から歩いて5分くらいの中央線沿線にひっそりと佇む
なんとも趣のあるカフェ。
味わい深い木の店内には、古本や小物も置いていて、
そして奥のちょっとしたスペースがギャラリーとなっています。
残すところわずかですが、展示のご案内。
「カフェギャラリーひなぎく」のページをそのまま転載します。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
秋光さやか 「ここに暮らす。」展
すてきな写真も絵も、雑貨もありません。
けれども、気持ちいい暮らしのしっぽがあります。
暮らしのしっぽ、つかんでみてください。
誰かが気持ちいいと思ったことを、
また他の誰かにつなげていけたら良いなと思います。
かわいいことは何もないけれど、
一瞬に捕らえられない日々の暮らしの喜びは、
あなたの暮らす、「ここ」にあるのです。
今までに出会った、暮らしの同級生や先輩に、
参加・協力して頂いています。
「くろねこかしや」
http://www17.ocn.ne.jp/~hinagiku/
「foodmood 」
http://www.foodmood.jp/
「petit a petit」
http://blog.goo.ne.jp/burikiboshi/e/074f3d6819236452ba8dec4f47a59452
「ノラヤ」
http://www.ne.jp/asahi/cat/nora/index.html
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1月19日(金)〜23日(火)
「カフェギャラリーひなぎく」
http://www17.ocn.ne.jp/~hinagiku/hinagiku.html
何とも言えない穏やかな空気の流れるステキな展示です。
「ここに暮らす。」展 特別メニューの
ほうじ茶と蒸しパンセット(スイカ糖付)。
必ず食べてください。激ウマです。
子供は暴れるわ僕は長話しをするわで
かなり迷惑な客だったと思います。
秋光さん、この場をかりてお詫び申し上げます。
店をでてすぐに、「あ、写メ撮っとけばよかった」と思う。
いつになったらブログ上手になれるでしょうか。
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アシンメトリー
2007.01.19 雑記
割れた鏡に左右非対称のぼくの顔がうつっている。
白いペンキの缶に右手をつっこんで
ゆっくりと黒く塗りつぶすことができるとしたら、
ぼくはその右側と左側のはたしてどちらを選ぶだろうか。
やはり静かな心でなければきみの手は動かない。
閉じるということと開くということの
宇宙の爆発にも似た融合を感じることができない。
その意味において、
創造するということの愚かさと美しさを
破壊することができない。
コメント0白いペンキの缶に右手をつっこんで
ゆっくりと黒く塗りつぶすことができるとしたら、
ぼくはその右側と左側のはたしてどちらを選ぶだろうか。
やはり静かな心でなければきみの手は動かない。
閉じるということと開くということの
宇宙の爆発にも似た融合を感じることができない。
その意味において、
創造するということの愚かさと美しさを
破壊することができない。
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揺れる世界
2007.01.18 雑記
自家用車など持っているはずもない僕は、
当然のことながらよく電車に乗るのですが、
この電車というパブリックスペースは
なんとも趣深い空間であると、
やはり感じないわけにはいかないのであります。
大抵寝てしまうことが多いのですが、
これは僕に限ったことではなく、
半分くらいの人は寝ているのではないでしょうか。
となりに座る人はまったくの見ず知らずの人であることが
ほとんどなわけですが、時に寄りかかったりしながら
そこそこ深い眠りについてしまうのです。
小さい子供からヨボヨボのお年寄りまで、
ありとあらゆる人間が、すごいスピードで動く箱の中で
ウトウトしながら揺れています。
その密室での他人との距離感というものは何とも独特で、
限られた時間とはいえある種の運命を共有するのです。
おもしろいですね。
めずらしく眠ることなくふとまわりを見渡すと、
人間という生き物はこんなにも多様性を持った生き物なのかと
驚かされてしまいます。
乗っている人間の多くは日本人であるのですから、
想像すると世界というものの広さに愕然とするのです。
混んだ電車に1時間も乗ると、入れ代わり立ち代わりで
それこそ数百人の人とすれ違うのではないでしょうか。
そう考えるとあたりまえの事かもしれませんが、
本当に色んな人がいる。
まあ目についてしまう人というのはちょっと変な人が多いのですが、
そこに渾沌とした社会の縮図を見ないわけにはいきません。
特に週末の終電なんかはまさにカオスといった雰囲気です。
よりよい世界というものを想像する時には、
都合よく単一な人間ばかりをイメージしてしまいがちですが、
ちょっと電車に乗ると、様々な人間の営みが
そこにはたしかに横たわっており、少しだけ絶望的な気分になります。
絶望的な気分というのはまさに僕の想像力と経験値の乏しさに
起因するのですが、一方で現実というものの生々しさに
完全に飲み込まれてはいけないという、漠然とした違和感も
同時に感じるのであります。
ユラユラと揺れる電車の中で、僕の価値観も右に左に揺らめくのです。
僕は政治家でもなければ思想家でもないので、
多くの人を巻き込んでやろうなどと大それたことを
考えているわけではないのですが、
それでもせめて何か少しでもわかち合うことができる要素が
ないのだろうかと無意識に探ってしまいます。
おもむろに大きなバッグからコイケヤのポテトチップスを取り出し、
バリバリとほおばりはじめる中年のおじさんに、
「世界について語り合いませんか」と、話しかける自分を
そっと想像してみたりするのです。
コメント0当然のことながらよく電車に乗るのですが、
この電車というパブリックスペースは
なんとも趣深い空間であると、
やはり感じないわけにはいかないのであります。
大抵寝てしまうことが多いのですが、
これは僕に限ったことではなく、
半分くらいの人は寝ているのではないでしょうか。
となりに座る人はまったくの見ず知らずの人であることが
ほとんどなわけですが、時に寄りかかったりしながら
そこそこ深い眠りについてしまうのです。
小さい子供からヨボヨボのお年寄りまで、
ありとあらゆる人間が、すごいスピードで動く箱の中で
ウトウトしながら揺れています。
その密室での他人との距離感というものは何とも独特で、
限られた時間とはいえある種の運命を共有するのです。
おもしろいですね。
めずらしく眠ることなくふとまわりを見渡すと、
人間という生き物はこんなにも多様性を持った生き物なのかと
驚かされてしまいます。
乗っている人間の多くは日本人であるのですから、
想像すると世界というものの広さに愕然とするのです。
混んだ電車に1時間も乗ると、入れ代わり立ち代わりで
それこそ数百人の人とすれ違うのではないでしょうか。
そう考えるとあたりまえの事かもしれませんが、
本当に色んな人がいる。
まあ目についてしまう人というのはちょっと変な人が多いのですが、
そこに渾沌とした社会の縮図を見ないわけにはいきません。
特に週末の終電なんかはまさにカオスといった雰囲気です。
よりよい世界というものを想像する時には、
都合よく単一な人間ばかりをイメージしてしまいがちですが、
ちょっと電車に乗ると、様々な人間の営みが
そこにはたしかに横たわっており、少しだけ絶望的な気分になります。
絶望的な気分というのはまさに僕の想像力と経験値の乏しさに
起因するのですが、一方で現実というものの生々しさに
完全に飲み込まれてはいけないという、漠然とした違和感も
同時に感じるのであります。
ユラユラと揺れる電車の中で、僕の価値観も右に左に揺らめくのです。
僕は政治家でもなければ思想家でもないので、
多くの人を巻き込んでやろうなどと大それたことを
考えているわけではないのですが、
それでもせめて何か少しでもわかち合うことができる要素が
ないのだろうかと無意識に探ってしまいます。
おもむろに大きなバッグからコイケヤのポテトチップスを取り出し、
バリバリとほおばりはじめる中年のおじさんに、
「世界について語り合いませんか」と、話しかける自分を
そっと想像してみたりするのです。
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23
2007.01.17 雑記
NEWS23の環境破壊の特番をみた。
番組内で示された様々なデータに、
改めて恐ろしい気持ちになった。
環境問題について考えるということは、
世界中の社会構造や、そこに暮らす人間の
価値観といったものまで考え直すということであると、
改めて痛感した。
僕達は変わらなければならない。
それだけは確かなことであるようだ。
僕はシャツをつくるということを通して、
引き続きその問題に関わっていきたいと思っている。
しかし、ゴア氏があの時勝っていてくれたら・・・と、
誰もが思ったのではないだろうか。
日本にも彼のような政治家が現れてくれることを
切に願うばかりだ。
コメント0番組内で示された様々なデータに、
改めて恐ろしい気持ちになった。
環境問題について考えるということは、
世界中の社会構造や、そこに暮らす人間の
価値観といったものまで考え直すということであると、
改めて痛感した。
僕達は変わらなければならない。
それだけは確かなことであるようだ。
僕はシャツをつくるということを通して、
引き続きその問題に関わっていきたいと思っている。
しかし、ゴア氏があの時勝っていてくれたら・・・と、
誰もが思ったのではないだろうか。
日本にも彼のような政治家が現れてくれることを
切に願うばかりだ。
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世代を越えて
2007.01.16 雑記
携帯電話の機種変更をした。
ついこないだケイタイについて書いたばかりであるけれど、
まったくサービスがややこしくてまいってしまう。
いろいろな機種があって、
それぞれの機種にはその機種ならではの特性があるわけで、
それに見た目のデザインの好みまで加味していくと
どうにも決めがたい。
結局どこかしら妥協することになるのだけれど、
よしこれにしよう!と思っていざショップに赴くと
「在庫切れです」となる。
実はそんなこんなでここしばらく幾度となくショップに足を運び、
その都度手ぶらで帰ってくるという日が続いていた。
まったくうんざりしてしまう。
で、ようやく機種変更までこぎつけたのであるけれど、
いざ変えてみると、その進化に驚くわけです。
前のケイタイも2年以上使ったものなのであたりまえかもしれませんが、
まったく別物であると言っていい。
ケイタイにも世代という言葉が使われるけれど、
その言葉の意味を実感する。
PC用のサイトもそのまま見れるし、ファイルだって開けちゃう。
パソコン、少なくともノートパソコンがなくなる日は
近いのではないだろうかと思ってしまう。
いよいよこのブログもケイタイから更新することが
増えてくる気がする。
わかんないけど。
で、いつものように疑い深い僕は、
果たしてこの利便性のかわりに何を失っただろうかと考える。
いよいよケイタイに依存する可能性は高い。
今の自分はまったくその通りであるのだけれど、
ケイタイばっかりいじっているヤツはちょっとみっともない。
肉体はそこにありながらにして、意識の半分くらいは
そこではないどこかに抜け落ちてしまっている。
これはとても重要なことであると思う。
現在という場所の意味が希薄になるということは
つまり活力というものが失われるのであります。
恐ろしいことだ。
魂を売ってはいけないわ。
気を付けます。
コメント0ついこないだケイタイについて書いたばかりであるけれど、
まったくサービスがややこしくてまいってしまう。
いろいろな機種があって、
それぞれの機種にはその機種ならではの特性があるわけで、
それに見た目のデザインの好みまで加味していくと
どうにも決めがたい。
結局どこかしら妥協することになるのだけれど、
よしこれにしよう!と思っていざショップに赴くと
「在庫切れです」となる。
実はそんなこんなでここしばらく幾度となくショップに足を運び、
その都度手ぶらで帰ってくるという日が続いていた。
まったくうんざりしてしまう。
で、ようやく機種変更までこぎつけたのであるけれど、
いざ変えてみると、その進化に驚くわけです。
前のケイタイも2年以上使ったものなのであたりまえかもしれませんが、
まったく別物であると言っていい。
ケイタイにも世代という言葉が使われるけれど、
その言葉の意味を実感する。
PC用のサイトもそのまま見れるし、ファイルだって開けちゃう。
パソコン、少なくともノートパソコンがなくなる日は
近いのではないだろうかと思ってしまう。
いよいよこのブログもケイタイから更新することが
増えてくる気がする。
わかんないけど。
で、いつものように疑い深い僕は、
果たしてこの利便性のかわりに何を失っただろうかと考える。
いよいよケイタイに依存する可能性は高い。
今の自分はまったくその通りであるのだけれど、
ケイタイばっかりいじっているヤツはちょっとみっともない。
肉体はそこにありながらにして、意識の半分くらいは
そこではないどこかに抜け落ちてしまっている。
これはとても重要なことであると思う。
現在という場所の意味が希薄になるということは
つまり活力というものが失われるのであります。
恐ろしいことだ。
魂を売ってはいけないわ。
気を付けます。
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「SWATCH」
2007.01.15 higomokkosu SHIRT
higomokkosu SHIRTよりお知らせです。
新サービス「SWATCH(スワッチ)」を始めました。
higomokkosu SHIRTで使用しているオーガニックコットン
の生地サンプルを無料でお届けするサービスです。
オーガニックコットンの極上の肌触りをぜひおためしください。
詳しくは下記のページをごらんください。
ご利用お待ちしております。
「SWATCH」
http://www.higomokkosu.com/swatch.html
コメント0新サービス「SWATCH(スワッチ)」を始めました。
higomokkosu SHIRTで使用しているオーガニックコットン
の生地サンプルを無料でお届けするサービスです。
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詳しくは下記のページをごらんください。
ご利用お待ちしております。
「SWATCH」
http://www.higomokkosu.com/swatch.html
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呼ぶということ
2007.01.14 雑記
大切なもの。
美しいもの。
尊いもの。
例えばそれを、
家族とか、
仲間とか、
未来と呼ぶとして、
それ以外のものを、
僕らは何と呼べばいいのか。
わかち合うためにもがき苦しむことを
どんな言葉で説明すればいいのか。
本当のところを話し合いたいと、そう思っているのだけれども、
それは難しいことだと今までどおり済ませてしまうことを、
まずは諦めるというわけにはいかないでしょうか。
涙が流れてとうとう朽ち果ててしまって、
その切なさを共同墓地に埋葬するくらいなら、
来世を強引にひきよせてしまうほうがいいのではないかと
そう思ってしまうのです。
僕達は気がついている。
それは確かなことだと、
そう思いませんか。
コメント0美しいもの。
尊いもの。
例えばそれを、
家族とか、
仲間とか、
未来と呼ぶとして、
それ以外のものを、
僕らは何と呼べばいいのか。
わかち合うためにもがき苦しむことを
どんな言葉で説明すればいいのか。
本当のところを話し合いたいと、そう思っているのだけれども、
それは難しいことだと今までどおり済ませてしまうことを、
まずは諦めるというわけにはいかないでしょうか。
涙が流れてとうとう朽ち果ててしまって、
その切なさを共同墓地に埋葬するくらいなら、
来世を強引にひきよせてしまうほうがいいのではないかと
そう思ってしまうのです。
僕達は気がついている。
それは確かなことだと、
そう思いませんか。
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今年も七草
2007.01.13 雑記
書き忘れてましたが、
今年も食べました、七草がゆ。
去年完璧に覚えたはずの七草を思い返してみると、
やっぱりすぐには出てこない。
「せり、なずな、ナントカカントカ、ほとけのざ・・・」
といった具合。情けない。
そこで、今年も復習してみることにする。
七五調でいってみましょう。
セリ・ナズナ
ゴギョウ・ハコベラ
ホトケノザ
スズナ・スズシロ
春の七草
うん、今年こそ覚えたぞ。
ちなみにちょっと調べたところ、この覚え方は、
芹なずな御形はこべら仏の座すずなすずしろこれぞ七草
という四辻左大臣という人の歌になぞらえたものであるそうです。
知らなんだ。
コメント0今年も食べました、七草がゆ。
去年完璧に覚えたはずの七草を思い返してみると、
やっぱりすぐには出てこない。
「せり、なずな、ナントカカントカ、ほとけのざ・・・」
といった具合。情けない。
そこで、今年も復習してみることにする。
七五調でいってみましょう。
セリ・ナズナ
ゴギョウ・ハコベラ
ホトケノザ
スズナ・スズシロ
春の七草
うん、今年こそ覚えたぞ。
ちなみにちょっと調べたところ、この覚え方は、
芹なずな御形はこべら仏の座すずなすずしろこれぞ七草
という四辻左大臣という人の歌になぞらえたものであるそうです。
知らなんだ。
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光景
2007.01.12 雑記
気持ちのよい晴天が続いております。
朝日の眩しさは、いつもの冬のイメージとは
少しだけずれている気がします。
やはり暖冬だからでしょうか。
ニューヨークでは桜が満開だというニュースを見ました。
その花は確かに桜で、ピンクの花弁は麗しいのですが、
そんな美しい花でさえ、そぐわない時期に咲くと
何とも無気味なものです。
小さい頃、実家の近くに流れる小川の飛沫が
岸辺の草木をまるごと凍らせて、
まるで絶対凍土に眠るマンモスのような神秘を
朝の空気に放っていたことを思い出します。
今となってはまさに夢のような光景なのです。
さて今年は雪も降らないのでしょうか。
去年は雪なんて全然興味を示さなかった娘も、
今年は「うわぁっ!」という声を出して、
目をキラキラさせるとそう思っているのですけれど。
コメント0朝日の眩しさは、いつもの冬のイメージとは
少しだけずれている気がします。
やはり暖冬だからでしょうか。
ニューヨークでは桜が満開だというニュースを見ました。
その花は確かに桜で、ピンクの花弁は麗しいのですが、
そんな美しい花でさえ、そぐわない時期に咲くと
何とも無気味なものです。
小さい頃、実家の近くに流れる小川の飛沫が
岸辺の草木をまるごと凍らせて、
まるで絶対凍土に眠るマンモスのような神秘を
朝の空気に放っていたことを思い出します。
今となってはまさに夢のような光景なのです。
さて今年は雪も降らないのでしょうか。
去年は雪なんて全然興味を示さなかった娘も、
今年は「うわぁっ!」という声を出して、
目をキラキラさせるとそう思っているのですけれど。
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ツカズハナレズ
2007.01.11 雑記
SOFT BANKの携帯を使っている。
vodafoneの前の、J-PHONEの時から使っている。
サービスがどんどん悪くなっている気がする。
悪くなっているというのは言い過ぎかもしれないが、
サービス内容がどんどん複雑になっていて、
ユーザーが漠然とした不信感を抱きやすいのは
確かだと思う。
他社の携帯を使ったことがないのだけれど、
聞くところによるともっとシンプルらしい。
この複雑さは僕の年齢でさえ理解に苦しむのであるから、
もっと年輩の方は完全にお手上げであると思う。
自分に合ったプランを選んで賢く使えるように
様々なプランが用意されているのだろうけれど、
すべての人にとってお得であるということは
会社にとっては利益が少ないということであるから、
基本的には矛盾してる気がするのだけれど、
どうなんでしょう。
例えば1ヶ月使ったあとに今月はこのプランを適用すると
一番安かったのでこのプランでの請求になります。
という具合にはいかないのかね、と思う。
このパックとこのパックを組み合わせるとこうで、
ただその場合はこちらのサービスが適用されなくて
ああだこうだ・・・もう好きにしてください、
どういうわけかあなたのことを信用できそうもありません。
たいていはそんな気持ちで店をあとにすることになる。
ケイタイはどんどん進化している。
その進化の分だけ僕達はケイタイに利便性の恩恵を受け、
自由な心を手放しているように思う。
そう感じている人は少なくないと思う。
たまにケイタイを忘れて出かけてしまうことがある。
一方ではなんだか不安な気持ちになるのだけれども、
一方では心に清々しい風が吹いているようにも感じる。
必要すぎない距離感の在り方をデザインするということが
今後のケイタイの進化のカギであると決めつけてしまうのは
身勝手すぎる考え方だろうか。
無論そんな考え方はなにもケイタイだけに言えることでは
ないのかもしれないのだけれど。
コメント0vodafoneの前の、J-PHONEの時から使っている。
サービスがどんどん悪くなっている気がする。
悪くなっているというのは言い過ぎかもしれないが、
サービス内容がどんどん複雑になっていて、
ユーザーが漠然とした不信感を抱きやすいのは
確かだと思う。
他社の携帯を使ったことがないのだけれど、
聞くところによるともっとシンプルらしい。
この複雑さは僕の年齢でさえ理解に苦しむのであるから、
もっと年輩の方は完全にお手上げであると思う。
自分に合ったプランを選んで賢く使えるように
様々なプランが用意されているのだろうけれど、
すべての人にとってお得であるということは
会社にとっては利益が少ないということであるから、
基本的には矛盾してる気がするのだけれど、
どうなんでしょう。
例えば1ヶ月使ったあとに今月はこのプランを適用すると
一番安かったのでこのプランでの請求になります。
という具合にはいかないのかね、と思う。
このパックとこのパックを組み合わせるとこうで、
ただその場合はこちらのサービスが適用されなくて
ああだこうだ・・・もう好きにしてください、
どういうわけかあなたのことを信用できそうもありません。
たいていはそんな気持ちで店をあとにすることになる。
ケイタイはどんどん進化している。
その進化の分だけ僕達はケイタイに利便性の恩恵を受け、
自由な心を手放しているように思う。
そう感じている人は少なくないと思う。
たまにケイタイを忘れて出かけてしまうことがある。
一方ではなんだか不安な気持ちになるのだけれども、
一方では心に清々しい風が吹いているようにも感じる。
必要すぎない距離感の在り方をデザインするということが
今後のケイタイの進化のカギであると決めつけてしまうのは
身勝手すぎる考え方だろうか。
無論そんな考え方はなにもケイタイだけに言えることでは
ないのかもしれないのだけれど。
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影
2007.01.10 雑記
新年というものは明けてみると実に恐ろしいもので、
はたと気がつくともう10日ほど過ぎている。
暖冬の午後の薄く伸びた2号棟の影。
新年早々髪を切った。
自分の後頭部はやはり見えない。
コメント0はたと気がつくともう10日ほど過ぎている。
暖冬の午後の薄く伸びた2号棟の影。
新年早々髪を切った。
自分の後頭部はやはり見えない。
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ありがとうの男
2007.01.09 雑記
身にしみた想いがとうとう涙となってあふれ出る。
そんな男を目にした。
おそらく人生というものに秘められた
最も美しい何かに触れたときにだけ流れる涙。
その涙は、素朴な色をしていた。
彼は「ありがとうございます」という言葉を何度も口にした。
僕も含めた彼をかこむ仲間達もみな、
彼に対して同じ言葉を胸に抱いている。
「ありがとう」という想いがあふれた空間は
まるでそこがどこでもないような、
そんな心地よさで満ちていた。
「ありがとう」の似合う男。
なかなかカッコイイと、そう思った。
コメント0そんな男を目にした。
おそらく人生というものに秘められた
最も美しい何かに触れたときにだけ流れる涙。
その涙は、素朴な色をしていた。
彼は「ありがとうございます」という言葉を何度も口にした。
僕も含めた彼をかこむ仲間達もみな、
彼に対して同じ言葉を胸に抱いている。
「ありがとう」という想いがあふれた空間は
まるでそこがどこでもないような、
そんな心地よさで満ちていた。
「ありがとう」の似合う男。
なかなかカッコイイと、そう思った。
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不穏な変化
2007.01.08 雑記
冷えは万病のもとであるという。
うちのかみさんなんかもそうなのであるけれど、
特に女性は冷え性に悩まされている人が多いらしい。
冷え性なるものをまったく理解できなかったのであるが、
最近はその辛さがわかるような気がする。
朝から電車に乗っていると足下が寒くてどうしようもない。
気持ちが悪くなる。
足がむくむし、肩がこるし、まったく気分が冴えない。
そんな自分の体質の変化、というか体力の衰えに
まったく滅入ってしまう。
実をいうとこの冬からズボンの下にスパッツ(ももひき?)を
はいている。
はかざるをえないと思っている。
無印で買ったやつなのだけれども、ずっと品切れでようやく買えたあたり、
世の男性諸君の股ぐらにも不穏な変化が訪れているようだ。
実際のところこの暖かさをもう手放すことができない。
クリスマスプレゼントにかみさんには湯たんぽ贈った。
その湯たんぽというなんともアナログな道具を使い始めてから、
すいぶんと体調がいいらしい。
万年悩まされていた足のむくみもかなり解消されているそうだ。
そ、そ、そ、そんなにいいものなの?
コメント2うちのかみさんなんかもそうなのであるけれど、
特に女性は冷え性に悩まされている人が多いらしい。
冷え性なるものをまったく理解できなかったのであるが、
最近はその辛さがわかるような気がする。
朝から電車に乗っていると足下が寒くてどうしようもない。
気持ちが悪くなる。
足がむくむし、肩がこるし、まったく気分が冴えない。
そんな自分の体質の変化、というか体力の衰えに
まったく滅入ってしまう。
実をいうとこの冬からズボンの下にスパッツ(ももひき?)を
はいている。
はかざるをえないと思っている。
無印で買ったやつなのだけれども、ずっと品切れでようやく買えたあたり、
世の男性諸君の股ぐらにも不穏な変化が訪れているようだ。
実際のところこの暖かさをもう手放すことができない。
クリスマスプレゼントにかみさんには湯たんぽ贈った。
その湯たんぽというなんともアナログな道具を使い始めてから、
すいぶんと体調がいいらしい。
万年悩まされていた足のむくみもかなり解消されているそうだ。
そ、そ、そ、そんなにいいものなの?
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ちょちょいのちょい
2007.01.07 雑記
新しいサービスの開始にあたり久しぶりにホームページを更新しようと思い、色々といじってみるのですが何とも効率の悪い素人仕事ゆえに、ものすごく疲れるのです。
プロだったらちょちょいのちょいとやってしまうであろう作業を、ああでもないこうでもないと頭を抱えながらやっておるのです。
ホームページ作成はまったくの独学で、しかも専用ソフトを使わずやっているため作業といったらものすごいアナログなのであります。
ま、ホームページをご覧いただければその雰囲気が十分伝わると思いますが・・・。
そんなわけで、やりはじめるとなかなかどうして、こんつまっちゃうわけなのです。
背中の痛みと肩こりが夜更けとともにいよいよ増すのです。
手づくりって体が痛くなるものですね。
ああしんどい。
コメント4プロだったらちょちょいのちょいとやってしまうであろう作業を、ああでもないこうでもないと頭を抱えながらやっておるのです。
ホームページ作成はまったくの独学で、しかも専用ソフトを使わずやっているため作業といったらものすごいアナログなのであります。
ま、ホームページをご覧いただければその雰囲気が十分伝わると思いますが・・・。
そんなわけで、やりはじめるとなかなかどうして、こんつまっちゃうわけなのです。
背中の痛みと肩こりが夜更けとともにいよいよ増すのです。
手づくりって体が痛くなるものですね。
ああしんどい。
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神秘
2007.01.06 雑記
赤鉛筆の芯はなんとも脆い。
僕の筆圧にたえることができず、
真ん中から砕けてしまう。
静けさの中で、手のひらを眺めてみる。
指が一本一本細やかに動く。
世界で一番高いところにある湖の名前を
僕は知らないけれど、
おそらくその水面にたゆたう朝霧のように、
僕のこころは神秘的な粒を抱いている。
世界中の悪意をどこかで疑っている。
どこかというのがどの場所なのか、
ご一緒に探してみませんか。
コマンドZよさようなら。
僕の東の空はあなたの西の夕焼け、
あなたの手のひらを今度見せてほしい。
コメント0僕の筆圧にたえることができず、
真ん中から砕けてしまう。
静けさの中で、手のひらを眺めてみる。
指が一本一本細やかに動く。
世界で一番高いところにある湖の名前を
僕は知らないけれど、
おそらくその水面にたゆたう朝霧のように、
僕のこころは神秘的な粒を抱いている。
世界中の悪意をどこかで疑っている。
どこかというのがどの場所なのか、
ご一緒に探してみませんか。
コマンドZよさようなら。
僕の東の空はあなたの西の夕焼け、
あなたの手のひらを今度見せてほしい。
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昨日への欲望
2007.01.05 雑記
僕はいつだって、何かを得たいと、
そう思っている男だろうか。
たとえそうだとするならば、
僕のこれまでの生涯でたった一度だけ口からこぼれ落ちた
こんなフレーズを今も追い求めているのではないだろうか。
「あれ?オレら昨日待ち合わせしてなかったっけ?」
いつか訪れる死ぬ間際はそんなことを夢想するのではないだろうかと、
ふと考えてしまう。
コメント0そう思っている男だろうか。
たとえそうだとするならば、
僕のこれまでの生涯でたった一度だけ口からこぼれ落ちた
こんなフレーズを今も追い求めているのではないだろうか。
「あれ?オレら昨日待ち合わせしてなかったっけ?」
いつか訪れる死ぬ間際はそんなことを夢想するのではないだろうかと、
ふと考えてしまう。
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自由について
2007.01.04 雑記
今年もまだ3日か、そろそろ年末かと思ってたぜ、と
誰かが言った。
嗚呼その通りだ、決して
怖いわけじゃない、と
皮膚のうらがわあたりがゾワゾワとする。
たとえば疾風。
できれば野の花。
せめてさざ波。
忘れていいものがあるとすれば、
何を忘れますか?
コメント0誰かが言った。
嗚呼その通りだ、決して
怖いわけじゃない、と
皮膚のうらがわあたりがゾワゾワとする。
たとえば疾風。
できれば野の花。
せめてさざ波。
忘れていいものがあるとすれば、
何を忘れますか?
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「てつがくを着て、まちを歩こう」
2007.01.03 雑記
鷲田清一氏の「てつがくを着て、まちを歩こう」は
学生時代の僕のバイブル的一冊であった。
ファションというものに関わっている人で
この本に感銘を受けた方は多いと思う。
哲学とファッションという、なかなか結びつかない
(というか結び付けることができる人がいない?)
分野を詩的な言葉遣いで巧みに横断してみせる
彼の文章にたまらなく痺れ、勇気づけられたのを
鮮明に記憶している。
僕のシャツづくりはファッションとかモードといったものとの
ある一定の距離を意識的にとっているわけだけれども、
それはそういったものに対して否定的な態度ではない。
もちろん行き過ぎていることに対しては危うさを覚えるのは
確かであるから、曖昧な態度であることには間違いないけれども。
彼がファッションというものを考察するうえで
重要視している点は、ファッションというものの在り方である。
僕はついファッションというものは現象だとわかりやすく
言い切ってしまうけれども、彼はこの本の冒頭でこんなことを
書いている。
おしゃれというのは、じぶんを着飾るということではない。
むしろそれを見るひとへの気くばり、思いやりだと考えると、
服を選ぶときのセンスが変ってくる。
つまり、他人の視線をデコレートするという発想をどこかに
取り入れること、つまりそういうホスピタリティが、
ファッションでいちばん大切な要素なのではないかと思う。
じぶんをいつも可変的な状態に置いておく行為、
それがファッションである。
ファッションに限ったことではないけれども、
誰かの手によって、或いは悪意によって、行き過ぎたもの
というものは、それが派生した段階における本質または
最も美しい意味合いというものを知らず知らず失わせるものである。
彼はその点をとても危惧しているし、僕もその点に関しては
まったく同じ考えを今でも抱いている。
僕達の世代に課せられたものづくりの前提
(なんていうと横柄かもしれない)には
こういった行き過ぎたものに対する態度というものが
必須項目として在ると思う。
なので僕なんかもついつい「とりもどす」なんてことばを
使ってしまうのだ。
この本の中からもうひとつ抜粋したいと思う。
これまた冒頭から。
ファッショナブルということを、江戸のひとは「いき」と呼んだ。
あか抜けして、張りがあって、色っぽいこと、いいかえると、
諦めと意気地と媚態が織りなす綾のことを「いき」と呼んだ。
原点回帰の意味も込めてもう一度読んでみようと思う。
コメント2学生時代の僕のバイブル的一冊であった。
ファションというものに関わっている人で
この本に感銘を受けた方は多いと思う。
哲学とファッションという、なかなか結びつかない
(というか結び付けることができる人がいない?)
分野を詩的な言葉遣いで巧みに横断してみせる
彼の文章にたまらなく痺れ、勇気づけられたのを
鮮明に記憶している。
僕のシャツづくりはファッションとかモードといったものとの
ある一定の距離を意識的にとっているわけだけれども、
それはそういったものに対して否定的な態度ではない。
もちろん行き過ぎていることに対しては危うさを覚えるのは
確かであるから、曖昧な態度であることには間違いないけれども。
彼がファッションというものを考察するうえで
重要視している点は、ファッションというものの在り方である。
僕はついファッションというものは現象だとわかりやすく
言い切ってしまうけれども、彼はこの本の冒頭でこんなことを
書いている。
おしゃれというのは、じぶんを着飾るということではない。
むしろそれを見るひとへの気くばり、思いやりだと考えると、
服を選ぶときのセンスが変ってくる。
つまり、他人の視線をデコレートするという発想をどこかに
取り入れること、つまりそういうホスピタリティが、
ファッションでいちばん大切な要素なのではないかと思う。
じぶんをいつも可変的な状態に置いておく行為、
それがファッションである。
ファッションに限ったことではないけれども、
誰かの手によって、或いは悪意によって、行き過ぎたもの
というものは、それが派生した段階における本質または
最も美しい意味合いというものを知らず知らず失わせるものである。
彼はその点をとても危惧しているし、僕もその点に関しては
まったく同じ考えを今でも抱いている。
僕達の世代に課せられたものづくりの前提
(なんていうと横柄かもしれない)には
こういった行き過ぎたものに対する態度というものが
必須項目として在ると思う。
なので僕なんかもついつい「とりもどす」なんてことばを
使ってしまうのだ。
この本の中からもうひとつ抜粋したいと思う。
これまた冒頭から。
ファッショナブルということを、江戸のひとは「いき」と呼んだ。
あか抜けして、張りがあって、色っぽいこと、いいかえると、
諦めと意気地と媚態が織りなす綾のことを「いき」と呼んだ。
原点回帰の意味も込めてもう一度読んでみようと思う。
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「省」
2007.01.02 雑記
正月にはやはりどこか澄み切った陽の光と
厳かな空気が漂うのであります。
人間というものが他の生物に比べ
特別な存在であるなどとは思わないのですが、
比較的多くの意識が同じような波長を放つ時は
いつもとは世界を違うものにしてしまう。
それはどうやら確かなことのように思えます。
親不孝な僕は里帰りすることもなく、
家族三人で正月を迎えたわけですが、
一歩外に出るとやっぱり人が少ない。
例えば東京の人口は正月の間、
いつもの何%くらいなのだろう。
そんなことを想像する。
逆に過疎のところはどっと人口が増えて、
分布的視点からすると理想的な人口バランス
なのかもしれない。
自分が田舎者であることなどすっかり棚にあげて、
いつもこれくらい静かな町であればいいのになどと
勝手なことを考えてしまう。
そんなことはどうでもいいとして、
今年はどんな一年になるでしょうか。
2007年、世界はどんな動きを見せるでしょうか。
穏やかな一年となることを祈るばかりです。
僕個人はじっくりと振り返る一年にしようと思っています。
「省」という言葉を新年早々挙げると
なんとも場違いな気もしますが、
無作為に何かを渇望するのではなく、
地を固めるような一年にできればと思っています。
惑わされることなく、己が本当に成すべきことを心で感じれるように
いつも健やかな暮しを心掛けよう。
そんなことを思うのです。
コメント2厳かな空気が漂うのであります。
人間というものが他の生物に比べ
特別な存在であるなどとは思わないのですが、
比較的多くの意識が同じような波長を放つ時は
いつもとは世界を違うものにしてしまう。
それはどうやら確かなことのように思えます。
親不孝な僕は里帰りすることもなく、
家族三人で正月を迎えたわけですが、
一歩外に出るとやっぱり人が少ない。
例えば東京の人口は正月の間、
いつもの何%くらいなのだろう。
そんなことを想像する。
逆に過疎のところはどっと人口が増えて、
分布的視点からすると理想的な人口バランス
なのかもしれない。
自分が田舎者であることなどすっかり棚にあげて、
いつもこれくらい静かな町であればいいのになどと
勝手なことを考えてしまう。
そんなことはどうでもいいとして、
今年はどんな一年になるでしょうか。
2007年、世界はどんな動きを見せるでしょうか。
穏やかな一年となることを祈るばかりです。
僕個人はじっくりと振り返る一年にしようと思っています。
「省」という言葉を新年早々挙げると
なんとも場違いな気もしますが、
無作為に何かを渇望するのではなく、
地を固めるような一年にできればと思っています。
惑わされることなく、己が本当に成すべきことを心で感じれるように
いつも健やかな暮しを心掛けよう。
そんなことを思うのです。
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迎春
2007.01.01 雑記
謹賀新年
新年明けましておめでとうございます
本年も何卒宜しくお願い申し上げます
平成十九年 元旦
コメント0新年明けましておめでとうございます
本年も何卒宜しくお願い申し上げます
平成十九年 元旦
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