higomokkosu GARDEN higomokkosu SHIRT

プロフィール

三保真吾

Author:三保真吾
higomokkosu GARDEN
higomokkosu SHIRT
熊本県出身。
マリスト学園卒業。
武蔵野美術大学卒業。
長男、B型。
現在一児の父。

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さむらい

2006.11.30 雑記
小学校3年生の時、担任の先生が、
2月、4月、6月、9月、11月は31日ないということを、
「に・し・む・く・さむらい(西向く侍)」と覚えるんだと
教えてくれました。

僕はそれ以来ずっとこの方法を採用しています。
11月はえっと、「にしむ・・・」という具合です。
たぶん唇は動いています。

しかし「西向く」はわかるとして、「侍」って何なんでしょう。
11という数字とさむらいという言葉にはどんな関係が?
それとも僕の聞き間違いでしょうか?
だとしたら何?

11月になるとやっぱり思い出してしまうのです。
どなたかご存知でした教えて下さい。

その11月が終わります。
年々前倒しになっていくクリスマス商戦とはうらはらに
やっぱり静けさが世界を覆っているように感じます。
この空気感を「侘びしさ」とか「厳か」という言葉で
表現していいのでしょうか。
何となくそんな言葉が似合う季節となってきました。


見過ごして逃げる師走の消し忘れ

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たんこぶ

2006.11.29 雑記
無事に目覚めました。あぁよかった。

昔からそうなのですが、ドジというか、
ボーッとしているというか、そんな具合なのです。
親父には小さい頃から「おまえは集中力がない」と
罵られてきました。
まったくその通りだから腹が立ちます。

小学校の頃、傘をさしたまま教室まで行ったことがあります。
下駄箱で靴を脱いで、上履きに履き替える間も、
おそらく傘をさしていたのでしょう。
なぜそんなことをしたのか今ではまったく思い出せませんが、
とにかくそんな子供だったのです。

資質というものは、大して変らないものなんですかね。
人間その気になればいくらでも変ることができると思うのですが、
それでもふとした時に根っこの部分が出てきてしまう。
そういうものなんですかね。

人の数だけ資質というものがあるのでしょうが、
できれば時間をかけて自分のその部分を愛せるようになれば
それはいいことではないかと思うのです。
そして他の誰かのその部分を愛し、また愛される。
そんなことができたら幸せですね。

それにしてもたんこぶが痛い。
おまけに首まで痛い。
頭蓋骨も少しずれたのではないだろうか。
これも気を抜くなという、神さまからのメッセージなのでしょう。

謙虚に暮します。
今年も残すところ1ヶ月。
最後まで安泰でありますように。

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右前方

2006.11.28 雑記
ひとりで屋内を歩いている。
後方でベビーカーを押している母親が
そのままエスカレーターを降りようとしている。
不意に心配になる。
左後ろを振り返るような格好で歩きながら、
その親子の動向を伺っている、次の瞬間。

右の前頭部をいきなり硬い鈍器で殴られる。
後ろによろめく。
メガネがずれている。
殴られるような恨みを買った覚えはない。
しかしこの激痛は尋常ではない。
まったく状況が把握できない。
何なんだ。

硬いもの同士が激しくぶつかる鈍く甲高い音。
とっさに「痛ーーーっ!」と叫ぶ。
飛んでしまいそうな意識を奮い立たせて
次の一撃に備える。
右手でメガネを戻し、振り返る。
そこに立ちはだかっていたもの。

柱である。
大理石の、大きな柱である。
いつも通っている場所にいつも通りに立っている、
立派な柱である。

脳が揺れる。
人目を気にしながら、何事もなかったように
足早にその場所をあとにする。
歩きながら一時的に感覚を失った事故現場を撫でる。
みるみるうちに膨らんでいく。
それもそのはずである。
まったくノーブレーキで石の柱にぶつかったのである。
大の大人がそうなる様を想像していただきたい。

その場所はもちろん頭蓋骨全体および、精神的に
多大なダメージを被る。
一体僕が何をしたというんだ。
そう叫びたくなる。

数日前、同じところをぶつけて同じようにたんこぶをつくった
娘のことを思い出す。
すぐにかみさんに電話して「右前方には注意しろ」と警告する。
むろん主のつとめである。

明日いつもどおり目が覚めることを願ってやまない。
まったく年末だというのに・・・。

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暖冬冷夏

2006.11.27 雑記
毎度のことながら遅れっぱなしのこのブログであります。
未だ11月を彷徨っているのであります。
嗚呼。

寒くなったとはいえ、この時期にしては明らかに暖かい。
今年も暖冬少雪とのこと。
まあ、寒くないのは素直にありがたいのですが、
暖冬冷夏っちゅうものもなんだか淋しいものです。

90年代を席巻したスーパーフラットという概念。
アーティストの村上隆氏、最近はどんな活動されているんでしょう。
まあそれはいいとして、こうも四季というものにメリハリがなくなると
この言葉を思い出してしまうのです。

日本の文化というか、日本そのものの日本らしさというか、
それは明らかにこの国の豊かな四季のありように由来するわけで、
そういったものが失われているような気さえするのです。
暖冬冷夏というものに対する違和感というか、
恐怖感というか、そんなものを感じざるを得ません。

環境保全というとやもすれば文化というものを度外視するような
強硬な態度を僕は思い浮かべてしまうわけですが、
失われてしまうものに対する危機感というもの、
失ってはならないと思えるものというのは、
自然環境そのものはもちろんのこと、
そこに根ざした人間の営み、文化というものがあるわけですよね。

広い意味においては現代社会のシステム自体も「自然」ということが
言えるわけですが、では一体何が失われてもよくて、
何が失われてはいけないのか。
その線引きって誰がするんでしょう。
極端な話、ある人にとっては大切であるものが、
他の誰かにとってはさほど重要ではないということは
いくらでもあるわけです。
そんなことを考えてしまいます。

先人が残したこの社会システムというものの恩恵を
僕達は確かに受けとっていて、その中でこれではダメだと思う。
しかし、親達からすれば子供の未来のためを思って作り上げてきた
社会であったということを僕達は否定できません。
事実僕達は子供達のために何かを残さなければならないと
思っているのですから。

正直なところ「おいおい、なんて世の中にしてくれたんだい」と
思わないわけではないのですが、
それが果たして誰かの悪意によってもたらされたものなのか、
それとも善かれと思って作り上げられたものなのか、
そこって誤った解釈をしてはならないと思うのです。

世界的に見て今の世の中というものは誰の目にもよいものであるとは
言い切れません。
しかし僕は、少なくとも多くの人々の叡智と善意と努力によって
なんとか作り上げられてきたものだと信じたいのです。
そして僕のモノづくりはそこに立脚しています。
というか、そうでなければ到底何かをつくり出そうとは
思えないんじゃないかという気がします。

僕達が時代の末端で成すべきことは何か。
そう問われた時に、悪しき過去の清算であるなどとは
少なくとも言いたくはないのです。
先人の叡智と善意と努力というものに十分に敬意をはらい、
そこに対して僕らなりに力添えをしていくこと。
そういう謙虚な姿勢が必要であると、そう思うのです。

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「東京ファイティングキッズ・リターン」

2006.11.26 雑記
いつものように思い立ったように本屋に足を運ぶ。
思い立ったように、というより、
見えない力に呼び寄せられるように、と言った方が
正確かもしれない。

今日僕を呼び寄せた本は、
「東京ファイティングキッズ・リターン」である。
解題を読んですぐにレジに向かった。
いつもそうであるけれど、この時僕はある種の興奮状態にある。
霊的と呼ぶほかない、シンクロニシティーというものに
打ちのめされているのである。
この感覚は、本を読むということ、
或いは広義においての生きるということの
ダイナミズムであると思っている。

この本は「東京ファイティングキッズ」の続編で
(僕はそっちは読んだことがない)
著者である内田樹氏と平川克美氏のメールでのやりとりを
書籍化したものである。
こういう話が聞きたかった。
それがこの本に対する僕の素直な感想である。
是非手にとっていただけたらと思う。

両氏の名前はどこかで聞いたことがあったけれど、
実際に読んだのは初めてであった。
「悪い兄たちが帰ってきた」という副題にあるように、
すっかりこの兄達に打ちのめされたのであった。
ビシビシきたのである。

両氏のブログにも是非アクセスしていただければ。

「内田樹の研究室」
http://blog.tatsuru.com/

「カフェ・ヒラカワ店主軽薄」
http://plaza.rakuten.co.jp/hirakawadesu/

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トップロープ

2006.11.25 雑記
わが家の1歳9ヶ月になる娘、
何度も告白していますが、まさにお転婆。
うまれてこの方風邪ひとつひかないのはいいのですが、
元気がありあまってしょうがないみたい。

最近はソファーの肘置きから飛びます。
トップロープからボディースラムであります。
腹筋がいくつあっても足りない。
そんな気持ちわかっていただけるでしょうか。

そんな娘がとうとうやっちゃいました。
たたんである布団の山から飛び下りて、
テーブルの角にこめかみを強打。
みるみるうちに腫れ上がり、アオタンに。
それでもすぐに泣き止みけろっとしているから凄い。
大人だったらしばらく立ち直れないよ、ホント。

夜になるとまぶたのところまで緑色に。
なんだか懐かしい色。
なんて、ふつうの感想じゃないのかしら。

とにかく健康でお願いしますよ。
父と母が願うのはとりあえずそこなのよ。
まあそのうちいろいろうるさいこと言っちゃうだろうけどね。
とりあえず今はね、トップロープはやめておきなよ。
まだ幼い君と胃腸の弱い父のためにも。

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±0、再び

2006.11.24 雑記
先日書いたばかりの例の加湿器、また壊れました。
間違った使い方をしていないのですが、
前回同様、まったく機能しません。
困ったものです。

見た目重視のコンセプトは潔いと思うのですが、
さすがに壊れてしまうのはマズイ。
3台目は改善されていれば良いのですが。

日に日に乾燥が激しくなっています。
身の回りでも鼻風邪が流行っているみたい。
しかもだらだらと続くそうで・・・。
うぅ、恐ろしい。

はやく帰ってきておくれよ、うるわしの加湿器。
なんてあたりまえのように思うのですが、
加湿器なんて去年くらいから使い始めたわけで、
人って恐ろしいですね。
あたりまえになっちゃうともう手放せない。
このあたりって深い気がする。

あたりまえだと思っているもの。
その中には何ものにもかえがたいものもあれば、
本当は必要ないものもあるわけです。たぶん。
皆さんのまわりはいかが?

本当に必要なものと、本当は必要ではないもの。
その数を足したら±0だと気がつくかもしれません。
自分という存在の他者性、あぁ、難しくて
壊れてしまいそう。

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子供達について

2006.11.23 雑記
痛ましい事実が連日報道されている。
いじめが原因で自殺する子供達が後を絶たない。

子供が自らの命を絶つということは
それがどういったことが原因であれ、
その子にとってはもちろんのこと、
社会全体にとっても、考えうる最大の不幸だ。

やれ核だ、景気がどうだと騒ぐけれど、
そんなことよりも数段重要な問題であるように思う。
たくさんの子供達が事実自らの命を絶っているのだ。
その重さを僕達大人はもう少し深く受け止めなければならない。

娘がうまれて、あっというまに2歳になろうとしている。
もう幾らもしないうちに小学生になって、
社会というものを知ることになるのだろう。
それは少しだけ不安なことでもある。

いじめもそうであるけれど、子供を狙った犯罪が多いこともあり、
幼い子供を持つ親にしてみれば、不安な世の中であることは間違いない。

今の日本では小中学校は義務教育ということになっているけれど、
今後このシステムは瓦解するということがあり得るのではないだろうか。
僕はそんなことを考えてしまう。

これまではどちらかというと貧しいイメージが付きまとっていた
農業というものが今ではすっかり逆転してしまっている。
新しい感覚を持った人達の多くは、帰農という道を選んでいる。
そしてそういった人達の多くは、高学歴であることが多い。

言わずもがな、自分の子供の学習教育というものを
自ら行うという親達がこれから先現れてくるのではないだろうか。
もしくはずっと小規模の、寺子屋のような形態がうまれるのではないか。
もしかしたらすでにあるのかもしれないけれど。
少なくとも、学区というものは崩壊する気がする。
子供があるいは親が学校を自由に選べるようになる気がする。

安倍内閣は教育というものを何やら変えようとしているらしいけれど、
既存のシステムと見た目を変えただけの決まりきったシステムではなく、
もう少し自由に子供を育ててもいいというルールをつくってくれれば
いいのにと思う。

しかし公開された遺書のなんと痛ましいことか。
なぐり書きされたような文字は、こころの痛みが表れているのだろうか、
それともまだ上手に字もかけないような幼い子供のものなのだろうか。
いずれにせよ、これほどまでに悲しい出来事はない。

何度も言うが、僕達大人はこれを単なる時代の澱であるなどと
受け止めてはならない。
未来そのものが死を選ぶということの意味と絶望を、
深く考えることから始めなければならないと思う。

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本棚

2006.11.22 雑記
僕のアトリエには本棚がない。
ゆえに、部屋の隅には本が山積みになっている。
なんとかしたい。

少し前に、近くのホームセンターで
木製の本棚を見つけた。
生木のざっくりとした雰囲気であったが、
2,000円くらいであった。
こないだ買おうと思って行ったところ、
見事にその姿はなかった。
あぁ、あのとき軽トラ借りて運ぶべきだったと後悔する。

いきなり矛盾したことを言ってしまうが、
生活で使う道具は良いものを選びたいと思っている。
良いものという言い方は漠然としているが、
ひとつには一生おつきあいできるもの、ということである。
そうはっきりと思うようになったのは最近のことであるけれども。

愛情を持って使い込まれた道具というものはなんとも美しい。
アンティークもいいけれども、できれば新品を買って
味のある雰囲気に育てたいものだ。

しかし、世の中の製品を見渡してみると、
そういうコンセプトの基につくられている製品は実に少ない。
そして、新しい製品というものはなんというか、実に味気ないのだ。
それはなぜだろうか。

フライパンというものを考えてみる。
フッ素加工というものがある。
焦げ付きを抑える表面の加工であるが、
こんなものはここ20年くらいのものではないのか。
しかし、聞くところによると、このフッ素加工自体は
現在では最も質の低い表面加工であるらしい。
そう聞いてしまうとフッ素加工なんて、と思ってしまう。
これは恐ろしいことだ。

わが家にはいただき物のティファールのフライパンがある。
確かにこれ、ほとんど焦げ付かない。
ゆえに手入れも簡単である。
しかし、チャーハンをつくった時のこと。
お玉の底とフライパンの表面が激しくぶつかって、
表面がはがれてしまった。
ほとんど焦げ付きを抑えることができる特殊加工のカスが、
チャーハンの中に混じっている。
これが危険ではないとは僕には思えない。

鉄製のフライパンというのは確かに焦げ付いてしまう。
その分、料理の腕も必要になるであろうし、
手入れも大変である。
しかし、例えばチャーハンを炒める。
フライパンからチャーハンの中に溶け出すものは何か。
当然、鉄分ということになる。

この違いを比較して、どちらの道具が優れているのかということを、
僕達は判断し、選択することができる。
しかし残念なことに、僕達は知らず知らずのうちに
「選ばされて」はいないだろうか。
そこには十分に注意を払うべきだ。

新しい製品はなぜ味気ないのか。
ひとつには、その道具自体に愛情を持たせないための仕掛けが
組み込まれていやしないだろうか。
デザイン、質感、パッケージ、流通システムなどなど。
そうすることで永久的に新製品は売れ続けることができる。
疑り深い僕はそんなことを考えてしまう。

そこで本棚。
近くの材木屋のオヤジがなかなか味があるのである。
それに材木屋の匂いはとてもいい。
そこでようやくやっぱりつくろうかな、と思うのだ。

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こだわり論・その1

2006.11.21 雑記
このブログを読んでくださっているある方に
「こだわる」って言葉をよく使うよね、と指摘されて
ドキリとしたのです。
というもの、自分ではまったく意識していなかったのです。

慌てて過去のものを読み返してみると、
まったくその通り、しょっちゅう使っています。
これって何なんでしょう。

しかも、僕はこういうことにこだわってます!というより、
こだわるってどういうことなんだろう?的な使い方が多い。
それって単純にビビってるってことよね。
いや、実際そうなんです。
それを思いきって「こだわり論」と呼びましょう。

こだわるということはどういうことなのか。
盲目的な固執とはどうちがうのか。

例えばhigomokkosu SHIRTの場合、それはどういうことかと考える。

素材にこだわる。
パターンにこだわる。
流通にこだわる。
コミュニケーションにこだわる。
背景にこだわる。
成れの果てにこだわる。

挙げ出したらきりがないわけですが、
その前提には「こだわらなければ意味がない」という
確固たる意志を再発見します。
それはどこからくるのか。

その考え方がこれまでの人生で得た教訓から
導き出されるのは間違いないのですが、
突き詰めていくと、「一度きりの僕の人生」という、
まったくわがままなテーマに行き着くのです。

そんなことをバカ正直に話すと、
「これだからB型は」と叱責されそうですが、
本当のことなので何も言い訳できません。
どうしても「どこかにあるはずのキラキラしたもの」を
追い求めてしまうのです。

誰にも受け入れられないこだわりというものは
つまらないというよりも、ちょっと淋しい、
そんな気がするわけです。
そこには「分かってくれる人が幾らかいるのではないか」という、
楽観的な観測があるのです。

盲目的な固執というものとはその点が違うのではないかと思います。
特定の誰かに向けられた一方的な想いではなく、
不特定多数との関わりに対して希望を抱くという点。
これは都合のいい考え方でしょうか。

一枚のシャツを通して、誰かと知り合う。
その人と実際に会って酒を飲む。
例えば僕はそこに「キラキラしたもの」を見い出してしまうのです。

それが、僕が自分の一生を賭して得ようとしているものなのか。
・・・もう少し考えさせてください。

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「一日いちブログ」

2006.11.20 雑記
「一日いちブログ」を心掛けてきましたが、
常にこれでいいのかというためらいはあるわけです。

たまにhigomokkosu SHIRTの告知、
あるいはモノづくりの背景について。
まあこれはこのブログの本来の姿であるのでしょうが、
残念ながら7割方はわたくしごときのつまらない日常を
誰に頼まれたでもなく赤裸々に綴っておるわけです。
「higomokkosu SHIRT 日誌」ならぬ、
「あるヒゴモッコスの日常」であります。

しかしながら、こんな些細なことでさえ、
毎日続けるというのはなかなか大変なことなのです。
たいした知識も特別におもしろい日常も持たない僕には
なおのことであります。

もはやこのブログをまったく客観的になど見れないのです。
「いつも読んでます」と意外な人に言われたりすると、
「なぜですか?」と、つい口にしてしまいそうになるのです。

思いつきで始めてもうすぐ1年になります。
最初の頃はやはり肩に力が入っている感じ。
最近はよくわからないことばかり書いている感じ。
どっちがいいのかはわかりません。
ゴメンなさい。

higomokkosu SHIRTもスタートから一年を過ぎましたが、
相変わらずのんびりとやっております。
これでいいんだという想いが半分、
これじゃいけないんだという想いが半分、
それが正直なところです。

今年も残りわずかとなりましたが、
「higomokkosu SHIRTのいいところ」をよりお伝えできるような
仕組みを少しずつ整えていく予定です。
来年の春にはちょっとだけ思いきったアクションを起こせたらいいなと
もくろんでいます。(ってついつい言っちゃうから目論見ではない)

真面目に、時々ふざけながらやっていきます。
このブログもそんな感じか・・・。

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±0

2006.11.19 雑記
めっきり冷え込むようになりました。
といっても、11月の後半にしては暖かいほうですかね。

寒いのもつらいのですが、乾燥がこたえます。
手肌がカサカサします。
のどが弱い僕には風邪の引き金になります。

去年、加湿器を買いました。
どこそこで見かけるカラフルなドーナツ型(?)のヤツ。
「±0」というとこのですね。
わが家にあるのは水色です。
一度故障して新品交換してもらいました。
噂によると壊れやすいらしいです。

この加湿器のいさぎよいところは、見た目重視であるところ。
多少使い勝手が悪くても、デザイン性を優先するということが、
使えばすぐにわかります。

外側から見たらほんとにつるっとしたただの物体で、
吸水口やモニターはおろか、ボタンひとつ見当たりません。
機能的には申し分なく、加湿器として優れたスペックを
持ち合わせています。

問題は使い勝手。
僕が一番イライラするのは、タンクに水を補給しにくいという点。
本体の上蓋部分がタンクになっていて、そこに水を補給するわけですが、
ぜんぜんうまくできんのです。
重いし、不安定でグラグラするし。
あれってコツがあるんですかねー。
まぁ、どうでもいいことですが。

冬の暖房で一番好きなのは、ストーブにやかん。
囲炉裏とか暖炉の経験はありませんが、
たぶんそれらはもっと上を行くアイテムなのでしょう。
そういうのがいいなぁ。

あ、わが家にはこたつはあります。
早くも住人になりつつあります。
危うく冬眠してしまいそうです。

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ミマ!

2006.11.18 雑記
娘は1歳8ヶ月になる。
元気がよすぎてまったくついてゆけない。
喜怒哀楽、やはり激しい。
自分もそうであったというのが信じられない。

アンパンマン狂いの彼女のボキャブラリーは
「アンパン」、「バイキン」の他に
「おいちー」、「ジューチュ」、「バイバーイ」程度で
あったのだが、最近は少しずつ増えている。

まず、何かにつけて「ママ!」と叫ぶ。
かみさんが「はーい」と返事するので、
人を呼ぶときの言葉だと勘違いしている。
僕にも平気で「ママ!」と言う。
教育って難しい。

チーズのことを「チーチー」、牛乳は「ニュウニュウ」、
「パン」、「マンマ」、「ブーブー」、「ニャンニャン」、
「ワンワン」、ボールを「ボーボー」、「耳」、目を「メメ」、
熱いものを「チッチ」、おならを「プー」、
コップを掲げて「カンペー(乾杯)」、
おししい?と聞くと「うまっ!」と言う。
わが家の教育が正しいのかどうかはわからない。

今でも僕達の喋っていることのかなりの部分を
理解しているみたいだけれども、
もうしばらくしたらふつうに会話するのだろう。
なんだかすごい。
楽しみなようで淋しいようで、親心も複雑ね。

あ、あと何度教えてもミロのことを「ミマ!」としか言えない。
自信満々でそう叫んで茶色の瓶の入った引き出しに駆けて行く。
それで彼女は納得している様子だから、子供ってすごい。

あっ、これ完全に親バカだよね。

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ブリケン

2006.11.17 雑記
高校の同級生が知人の結婚式に出席するため、
東京に出て来た。
夜集まってひと席もうけることになった。
こういうのって続くのね。

彼はリクルートに5年ほど勤めていたが今年になって独立し、
地元福岡で音楽関係の仕事をしている。
これから本格的に始動するそうだが、大したものである。

この人、なかなかのキャラの持ち主でして、
たまに本気でKONISHIKIに間違われるらしい。
つまり巨漢。しかも顔が濃いのだ。
口ぐせは「オレ、痩せたらまじでかっこいいぜ」であるが、
会う度に10kgのペースで増加している。
僕の体重のちょうど2倍、KONISHIKIの半分であるらしい。

しかしこの人のすごいところは、
オシャレであるということである。
常時4、5本のオシャレメガネを持ち歩いている。
制汗剤と香水を欠かさない。

原宿で飲んだのだが、例によってしみったれた居酒屋である。
竹下通りを明治通りまで抜けて、ムラサキスポーツのところから
左に折れる。
ユナイテッドアローズ本店の方向へと抜ける路地の途中、
左側に3軒ほどいい感じの居酒屋がある。
そのうちの「ひょうたん」という居酒屋で飲んだ。

なぜ場所まで書いたかというと、
思った以上によい店であったからだ。
料理もうまかったし、女将さんがなかなかのナイスキャラで、
すっかり和んでしまった。
からあげ、ほんとうまいよ。

彼の他にも高校の同級生が2人来た。
以前より馴染みのあったうちの弟とその彼女も同席した。
小さなテーブルを囲んで鍋などをつつきながら、
まあ色々と話をした。
愉快であった。

大学の頃は、高校の同級生ももう少しこっちにいたのだが、
めっきり少なくなってしまった。
地元に戻る連中が増えてきた。
まあそんなものですかね。
残された身としては、ちと淋しいのではありますが。

それにしても今週は飲みっぱなしだった。
まあ楽しい酒であるから恵まれていると思うのだけれども。
なんて、最近フツーの日記だね。
いやはや。

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アトリエ

2006.11.16 雑記
せまい僕のアトリエには主に、
パソコンデスク、製図台、ミシンでほぼうまっているのです。
これまでその3台をL字型に配置していたのですが、
それが正解なのかわからぬままなんとなく使っていたのです。

先日弟が遊びに来たのをきっかけに、
思いきって模様替えしてみました。
パソコンデスク、製図台、ミシンを壁沿いに一列に並べました。
自分でも驚いたのですが、明らかにこちらが正解。
すっきり見えて、しかも使いやすい。
なぜはじめからこうしなかったのか、まったく疑問なのです。

大学は「空間演出デザイン学科」というところだったのですが、
自分の部屋さえうまく演出できないのですから、
困ってしまいます。

傍目で見ていたかみさんがぽろり。
「わたしはそっちのほうがいいんじゃないかと思ってたんだー」

・・・早く言ってよ。

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2006.11.15 雑記
僕の高校時代をひとことで言ってしまえば、
「男子高男子寮」ということになると思う。
文字のひとつひとつからモンモンとした何かが
ムンムンと匂ってきそうな言葉である。
事実そのままなのであるけれども。

入学してはじめて寮を訪れたときの光景を
忘れることができない。
これまたひとことで言ってしまえば、軍である。
もちろん本物は知らないけれど、
どっかの軍隊の宿舎のようなイメージ。
8帖ほどの部屋に鉄パイプの2段ベッドが4台に
更衣室にあるような細長いロッカー。
そんな殺風景な部屋が廊下を挟んで左右10部屋以上
並んでいるのである。
今考えても恐ろしい。

僕は入ってすぐ左手の下の段のベッドであった。
すでに何人かがいて、僕の上のベッドにも
ひとりいるようだった。
高校に入って最初に話したのがその彼で、
その後3年間仲良くしていた。

前置きが長くなってしまったが、
その彼と久しぶりに再会した。
彼は関西の大学に進学し、そのまま大阪の不動産関係に就職した。
その後、結婚を機に鹿児島で公務員になった。
学生の頃から僕とは正反対で堅実な彼らしい生き方である。
自分にはできないこともあり、まったく尊敬してしまう。

千葉にある研修センターに1週間ほど出張できているという。
夕方から船橋で待ち合わせ、飲みに行った。

彼も先日子供がうまれ、一児の父である。
子供について、仕事について、色々と話した。
あの頃はお互い父親になるなんて、想像もできなかった。
29歳、千葉のしみったれた呑み屋で再会するなど知る由もなかった。
人生は面白い。

積もる話もあったのでがっつり飲みたかったのだが、
仕事で来ているため、門限があるという。
終電ギリギリまで話し、しぶしぶ駅まで見送った。
次はいつあえるかわからない。
けれど男同士の再会であり、ふたたびの別れである。
「じゃあな」とだけ言って背を向ける。
それが美しいのだ。

しかしそう思うも足が止まる。
手ぶらでやってきた彼に、コンビニで買ったビニール傘を
手渡していた。
その傘をぶら下げた彼が、終電へと向かう混雑の中に消える。

突然の激しい雨はすっかりあがっていた。
自転車にまたがって帰る。
その背中は妙に淋しげだったのではないだろうか。
けれど、はじめて出会ったあの寮のことを思い出してしまったのだから
しょうがないと思うのだ。

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スペリオ

2006.11.14 雑記
銀座7丁目にある「スペリオ」というバー。
僕もはじめて行ったのだが、すごくよかった。
やっぱり町場のバーが僕は好きだなぁ。

冷えた真鍮の器に注がれたビール。
見たことないような肌理の細かい泡が、
器の淵と同じ高さできれいにそろっている。
2度注文したのだが、まったく同じである。
ビールにしては時間がかかると思ってたが、
そういうわけなのである。

次にバーボン。
基本的に酒は度数が高いほど旨いと信じている。
ゆえにブッカーズである。
無論ロックでいただく。
信じがたいほどのふくよかさ。
笑みがこぼれる。

バーでどんな酒を飲むべきか。
そんなことはひとそれぞれであるが、
カクテルというものは重要であると思うようになった。
ジンが好きな僕にとってはやはり、マティーニとなる。
事実、マティーニの味でその店を量ってしまうことがある。

タンカレーNO.10でドライマティーニを頼む。
オリーブはグラスの中ではなく、別に運ばれてくる。
テーブルについてからレモンピールで香りづけ。
とろっとした滑らかな舌触り、甘い味わい、抜群の香味、
どれも素晴らしかった。
こういう旨いマティーニを飲んでしまうと、
不味いものは飲めなくなってしまう。
困ったものだ。

間違いなく日本一のバー激戦区である銀座には
素晴らしい店がたくさんあるのだろう。
ここスペリオもその一軒であると思う。
酒はもちろんのこと、店の雰囲気、接客、
どれも素晴らしかった。
また行ってみたい。

ちなみにあわせたシガーはPARTAGAS SERIE P NO.2。
いつもながら男だけの硬派な席にはぴったりの、
ストロングな一本である。

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Paradox

2006.11.13 雑記
シンプルに生きるということは
こだわりをもって生きるということなのか、
それとも、何もかもを受け入れるという生き方なのか。
或いはその両方なのか。

うじうじと悩んでいる。
人生とは何か。
まったく湿っぽくていけない。
湿っぽいのは、その言葉の前に「僕の」という言葉が
くっついているからだ。
頭ばっかりで考えているときは大抵よくない。
良い考えが浮かばない。
浮かばないから無理矢理考えてしまう。

うまくいかないときは何もかもうまくいかない。
誰でもそうなのだろうか。
5年くらい前からそれをすごく実感するようになった。
やっと大人になったということなのだろうか。
事実凹むことが増えた。
年をとった分だけ自分が成長しているとは思えない。

何度憶えようとしても憶えられない言葉がある。
「Paradox」という単語の意味を憶えられない。
なぜだかわからない。

極端なことを言ってしまうと、

他の誰かを思いやるようにしよう。
なるべく特別なことをしないようにしよう。
謙虚になろう。
挨拶をしよう。
体を動かそう。
おいしいご飯を食べよう。
許すようにしよう。
できることを誠実にこなそう。

なんだかこころの病を患っている人のようだ・・・。

こだわるということと受け入れるということ、
それが無理なく混在する状態をひとつの調和と呼ぶとして、
たとえば究極のところその静かな状態のことを平和というのか。

パラドックスの果てにあるもの。
少なくともそこに光があると信じることは重要だと思う。

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ロック

2006.11.12 雑記
大学に入学してすぐにミシンを買った。
というか、買ってもらった。
JUKIの直線縫いとロックミシンの2台。
学生時代はろくに洋服などつくらなかったので、
新品のミシンはまさに宝の持ち腐れだった。

特にロックミシンはほとんど使う機会もなく、
ホコリまみれのボロボロといった状態。
そのロックミシンを久しぶりに取り出して
メンテナンスをした。

ヒドイものである。
ホコリ、サビはもちろんのこと、いろいろな部分が欠けている。
ホコリとサビを取り除き、分解して油をさす。
欠けた部分を接着剤でくっつける。
なくなっている部分を植木の支えにしていた木の棒や
使わない筆の柄の部分を加工して代用する。
結果的になんとも滑稽で味のあるマシンになった。

ペダルを踏んだのは実に5年ぶりくらいではなかっただろうか。
正直動くとは思えなかったのだが、予想に反し軽快に動いた。
道具とは愛情を注ぐと応えてくれるのだな、と思う。
これまでごめんよ、とも。

新しい構想の試作品を縫う。
実によく働いてくれる。
以前でさえこんなにきれいに縫えたことはなかったのではないか。
彼もこの日を待ちわびていたのかもしれない。

これからは大事にするよ。
どうぞよろしく。

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キャラメルコーン

2006.11.11 雑記
弟がふたりいる。
男三兄弟なんて地元では何ら珍しくもなかったのだが、
東京に出て来てからというもの、驚かれることが多かった。

次男は地元で結婚し、まだ1才にもならない娘がいる。
三男は今年の春に就職し、東京に出て来た。
まあ、それぞれである。

昨日などもそうであるが、
友人に弟を紹介する時がある。
以前はそんなことなかったのだが、
「弟さんがお兄さんみたい」などと
言われることが増えた。
兄としてはかなり微妙だ。

弟達のほうが背も高いし、例えばその日はスーツを着ていたし、
などと言い訳したくなるが、やめておく。
兄としてみっともないではないか。
いや、冷静に判断して確かにヤツ等のほうが落ち着いて見える。
これは醸し出す雰囲気といっていい。
男の魅力とも言い換えることができるであろう。

うすうすその可能性を感じ始めてはいたのだが、
これからは「ダメ兄貴」として生きるしかないのか。
それかいっそのこと「長兄」の座をどちらかに譲ってしまおうか。

兄弟構成を聞かれ、男三人兄弟というと、
お母さん大変だったでしょうね、と言われる。
確かにそうだったであろう。
思い返しても、兄弟喧嘩をしない日は一日もなかったように思う。
これは大袈裟でも何でもない。

キャラメルコーンがひと袋ある。
それは確かにトーハトのキャラメルコーンなのであるが、
同時に戦争の火種でもある。
ひと粒多く食べたといっては大喧嘩が始まる。
殴り合いである。

僕に続き次男も高校入学と同時に実家を出た。
ひとり残された三男はしめしめと思ったという。
今日からはあのキャラメルコーンをひとりで食えると。
ところがどうであろう。
ひと粒を奪い合ったあのキャラメルコーンが、
ひとりで食っても全然うまくないのだ。
それは三男だけが味わったキャラメルコーンの味である。

その話を聞いたとき、もう取り戻すことができない何かを胸に感じた。
それをどんな言葉で表現していいのかわからない。
僕にとって兄弟とはそういうものである。

三人だけで酒を飲んだことがあるだろうかと考える。
残念ながら記憶にない。おそらくないのであろう。
ひとつ屋根の下に暮したのはかれこれ15年前までである。
それは僕達の人生の半分以上だ。
それぞれの方法で大人になった。
その結果をはかりにかけて、はっきりさせなければならないことがある。
やはり三人で酒を飲まねばならぬ。

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のぎく

2006.11.10 雑記
「ふた月に一夜咲きます」
という魅惑のキャッチフレーズは
知り合いのスナック「のぎく」のものである。
ふた月に一夜とはどういうことかというと、
二ヶ月に一度店を開くということである。

スナックのママ(なんていうと怒られる)と知り合ったのは、
かれこれ5、6年前である。
彼女は普段、吉祥寺にある小さな雑貨店を切り盛りしている。
吉祥寺の駅から井の頭通りを10分ほど歩いたところにある、
「QUEEN'S HOTEL」というお店だ。
店内には昭和の匂いのする雑貨やアンティークがところ狭しと並ぶ。
店主のこだわりが光る、知る人ぞ知る名店である。

その彼女が貸スペースで一晩スナックをやっているという。
そこに足を運んだ。今回は3回目であるそうだ。

店内にはなんとも味わいのある雑貨がたくさん並んでいた。
しかも安い。これで利益が出るのだろうかと思うが、
余計なお世話だろう。

スナックというからにはお酒も出る。
最近僕もひいきにしているハートランドの瓶ビール、
エビスの瓶ビール、ハイランドのスコッチ(銘柄は忘れた)
をロックで、という具合に進む。
雰囲気のある場所で飲むと、また格別である。

ほとんどの客は知り合いばかりのようであった。
僕も何人か知っている人がいて、話をした。
吉祥寺のうらびれたピンク街には似つかわしくない
暖かなスペースである。ほんとうに素晴らしい。

最後にはイースタンユースの吉野さんが
締めの歌声を披露。
すっかり酔いしれてしまった。

再来月は場所を移して開くという。
またひとつ夜の楽しみができてしまった。
僕もとうとうスナック通いである。

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シャボン

2006.11.09 雑記
浅草橋にシモジマという店がある。
もともとはどういう店であったのかは知らないが、
紙袋や紙箱などの商品パッケージを中心とした
卸問屋である。
今は通販のほうが有名なのかもしれない。

higomokkosu SHIRTで使っている配送用の袋なども
ここで買っている。
販売単位は多めなのだが、安いので助かっている。

今日も3人で出かけた。
ギフト用のボックスや、薄紙、配送袋などなど、
片手では持てないくらいの量になってしまった。
それでも3,000円いかない。

帰りには用もないのに秋葉原の電器店に立ち寄る。
MACのコーナーに立ち寄る。
欲しくなってしまう。んーーー。
あれこれと家電を見てまわる。
うちには掃除機がない。正確には壊れてしまったのだ。
それにしても掃除機は高い!
最近はサイクロン式が主流のようだが、
安くても1万円、高いものだと7、8万もする。
おいおい、ゴミを吸い取るだけだぜ、と思う。
そうこうしているうちに、ほうきで十分じゃないかと
思えてくる。雑巾がけって美しいじゃないか!と。
かみさんはどう思っているだろうか。

シモジマで娘にシャボン玉を買った。89円だった。
ピンクのボトルに黄色のキャップ、黄緑のストロー(?)に
皿と大きなシャボンをつくる輪っかがついている。
イモくさいうちの娘にはこういう昭和の匂いのする
おもちゃがよく似合う。

風呂場でシャボン玉を吹いた。
一度に数十粒の虹色のシャボンが勢いよくうまれて、
娘の瞳に映る。
最初は驚いていたが、
すぐに目を輝かせて小さな指でふれたりした。
機嫌を損ねても、しばらくはシャボンが助けてくれそうである。

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「18」

2006.11.08 雑記
先日、巨人の桑田選手に会う機会があった。
彼もシガーを嗜むという。
とても穏やかな人で、気さくに話し掛けてくれた。

復活の日、彼がマウンドに手をついて祈りを捧げるように
うつむいた光景が今でも目に焼き付いている。
野球などろくに見ない僕でさえ、感動してしまった。

高校球児に目標とする投手は誰かと尋ねると、
未だに巨人の桑田投手の名前が頻繁に挙がるらしい。
彼は投手としても一流であるが、彼の野球に対する哲学に
共感する人は少なくないそうだ。

恥ずかしながら、生まれてはじめてサインというものをねだった。
彼は快く応じてくれた。
名前の右端には「18」のエースナンバー。
今期限りで巨人を退団し、メジャーに挑戦すると聞いていたので、
この「18」は意外だった。
もしかしたら限り無く最後に近い「18」だったかもしれない。

当然のことながらこれまではテレビの向こうの人だったので
「桑田」と呼び捨てにしていたけれど、
会って話したりすると、俄然「桑田さん」となる。

桑田さん、遅ればせながらファンになりました。
応援しています。

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インスピレーション

2006.11.07 雑記
もともと物欲はそんなにない方だと思っているのだが、
本に関してはその欲求が少し強いかもしれない。
デパ地下に行く度に、このフロア全部が自分のものになったなら
どんなにか素晴らしいだろう!と思うように、
本屋に行くとついそんな妄想をしてしまう。

図書館で借りて読むというのが一番お金がかからないのだが、
僕の場合、気に入った本は時間をあけて少なくとも2、3回は読む。
そうするとどうしても欲しくなる。

久しぶりに本を買った。
山口瞳著「人生論手帖」。
単行本未収録のエッセイ集であるらしい。
もったいなくてゆっくりと読み進めているのだが、
やっぱり好きだなぁ、この人の文章は。
特に、酒にまつわる話、戦争体験からくる彼の言い分がたまらない。
感激して内側に震えるものを感じる。

ここで何度も書いているけれど、
僕達の世代はこいった人の言い分にもっと耳を傾けるべきだと思う。
僕個人としては、こういった人の話を聞くと、
ものすごくインスピレーションが刺激される。
現代を生きる僕の肉体とのギャップがそうさせるのかもしれない。
そのギャップとは当然不快なものではなく、
今の僕の立ち位置というものを、明解にしてくれるように思える。

ぜひ手にしてもらえたらと思う。

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しゃれこうべ

2006.11.06 雑記
空が高い。まちがいなく高い。
空が高いのだから、星はさらに高いところにつるされている。
それは外灯のせいかもしれない。

外灯のあかりが夜空の雲を浮かび上がらせる。
首をかしげたどくろの雲。
すぐに砕けてギラギラした月に吸い込まれる。
星はずっと高いところの白濁した粒。

1号棟と2号棟のあいだで立ち止まる。
東京で独り暮しをしていたほんの数年前、
真夜中の空を眺めながらよく歩いたことを思い出す。

その景色はなぜか底冷えのする冬である。
空に何かを溶かそうとして、白い息をしきりに吹き出した。
あの白いものは一体なんだったのだろう。
愛おしさとカオス、そんな冬のイメージ。


写メールで月の斜光を発射するしゃがんだシャツの裾にしゃれこうべ

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「06 AUTUMN」アップのお知らせ

2006.11.05 雑記
大変お待たせ致しました。

かねがねよりお知らせ致しておりました、
「06 AUTUMN」のブルゾンとコートを
ようやくアップしました。

詳細はhigomokkosu SHIRTのSHOPページをご覧ください。

いずれもデッドストックの生地を使用しておりますので、
気になる方はお早めに!!

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鍋と日本酒の宴

2006.11.04 雑記
先日朝まで飲み明かした友人を今度は我が家に招いて
鍋と日本酒の宴を開くことにした。

当初ひとりだけお呼びする予定だったのだが、
絶妙のタイミングで連絡をよこすヤツがいたりする。
結局、弟とその彼女、パン屋の友人、学生時代の友人カップル
が来て、ちょっとした鍋パーティーとなった。

がぶりよっつで朝まで飲み明かすつもりだったのだが、
そんなこんなですっかり気が抜けてしまって、
がっつりと話し込むなんてことなどできなかった。
反省である。

夜中の2時すぎに、近くの温泉センターに皆で出かけた。
学生のようだと皆で騒いだ。
深夜割り増しで、ひとり2,500円くらい取られた。
仮眠室などもあるらしく、そのための料金設定のようだ。
銭湯気分の僕らにはかなり高すぎる。

ジェットバスやサウナ、足湯などがあった。
中でも強烈だったのが、薬膳風呂である。
最初はいいのだが、徐々に息子の頭のテッペンが
ヒリヒリとしてくる。
最後には男には堪えられない痛みとなる。
別に悪いところが痛むというわけではないらしいが、
あれは絶対トウガラシか何かが入っていると思う。
そんなこんなで俄然盛り上がる。

飲んでいる途中、いつもながら日本酒の急襲に負け、
不覚にも寝入ってしまった。
その後風呂に行ったものだから、帰った時にはすっかり酒が抜けていた。
さて飲み直すぞ!と思うも、皆はすっかり眠そうなのである。
彼等のほうが正しい。

始発のバスで帰るというパン屋の友人をバス停まで送り、
渋々こたつに入って寝た。

ゲストを招いておいながらろくにかまえず、
申し訳なく思った。
少しでも楽しんでもらえたならよかったのだが。

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勇気ある人、いぬ

2006.11.03 雑記
越してからというもの、すっかりバス生活である。
わりと本数も充実しているので申し分ない。
まれに道が混んで渋滞すると厄介なのだが。

帰り、駅からバスに乗る。
自宅の最寄りのバス停までは6つくらいである。
実質5分くらいしか乗らない。さほど混まない。
あのボタンの名前、何ていうんだろう。
停車ボタン?あの紫色の怖いボタン。

いや、別に恐怖におののいているわけではないのだが、
あれってもっと手元にあるといいと思う。
というか、そんなことまったく気にしないような
勇気ある男になりたい。

村の習字教室で先生が僕に書いてくれた手本には、
「勇気ある人」とあった。
僕は当時、小学校6年生であったと記憶している。

なんだかこころの中を覗かれたような気がした。
そして、まったくうまく書けなかった。
最後まで合格点をもらうことができなかった。
あれ以来僕は「勇気ない人」のままである。

4歳はなれた弟には「いぬ」という手本。
僕は彼の堂々とした「いぬ」に打ちのめされていた。
今でもその二文字を鮮明に思い出すことができる。
彼はそんなことなど憶えてはいないだろうけれど。

壁にぶつかることがある。
そのとき人はどうするのか。
正面から乗り越えようとする人、
楽な方法を考えようとする人、
このニ通りであると思う。

僕はいつも後者だ。
ゆえにまるで呪縛のように、あの言葉を思い出す。

なぜモノをつくるのかと問われれば、
僕の場合詰まるところ、ここなのである。
つまり「勇気ある人」や「いぬ」に対する
不健康なコンプレックスである。

また明日もバスに乗る。
メガネの奥に鋭い眼光をたたえて「いぬ!」と叫びながら
紫色のボタンに手を伸ばす。
震える指がそのボタンにふれる直前「ピンポーン」という
乾いた音が車内にこだまする。
力なく椅子に崩れ落ちる男。
それが僕である。

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偉業

2006.11.02 雑記
高校はカトリックの私立で、
まがいなりにも進学校であった。
おまけに男子高である。
中高一貫の学校であったが、僕は高校組であった。

外見の体裁はイイが、実際の中身は
やれ親が弁護士だ、医者だという
ボンクラ息子ばかりだった。
僕はそんなヤツ等は嫌いだった。

ろくに勉強もしない問題児ばかりとつるんでいた。
高校に入るなり漠然と美術に興味を抱くあたり、
人のことは言えない。

僕が通っていた高校からムサビに入学したのは
僕が初めてだったそうだ。
その例外が進学校にとって良き道筋となったかどうかは
僕の知ったことではないが、
知る由もない後輩の誰かにとって
小さな希望の種になることがあるならば悪い気はしない。

高校時代にろくに勉強をしなかったヤツ等も、
入学した当時はそれなりだったのである。
僕が最も親しくしている友人は、
中学入学時抜群の成績で入学をし、ドンケツで卒業した。
僕はそれを偉業だと思っている。

そんな彼というもの、いつも髪を切ってもらっている
美容師の彼である。
高校卒業後すぐに美容専門学校に入学し、
今や優秀な美容師である。

彼が近い内に店を出すという。
いち友人として、こんなに嬉しいことがあるだろうか。
彼は自分の力で城を手にし、夢を手にするのだ。

それは彼のみならず、僕にとっても、僕らに続く者にとっても
大きな光となるのだ。

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2006.11.01 雑記
居酒屋で飲んでいるとき親友のひとりがこう言った。

いや、オレはねトモコのことは好きだよ。
ただ、もし見ず知らずの人間だったら
絶対に関わりたくないね。

見事に鋭い指摘である。
人知れず唸ってしまった。

今年の24時間テレビのテーマは確か「絆」であった。
この言葉は一種のブームである。
家族の絆、友との絆、前世との絆。

誰かとの確かなつながりを通して己の生の意味を知りたい。
その明確な美しいはずの答えが欲しい。
その想いが強ければ強いほど、はた目には切迫感を感じてしまう。
それはどこか狂気にも似ている。

絆というとなんだか無条件に美しいもののように
思ってしまうけれど、果たしてそうなのか。

例えばそれを、切っても切れない人と人の縁と言うとして、
切っても切れないってどういうことなのか。
切りたくても切れない。
切られようとしても切れない。
切れるはずなのに切れない。
どうしてもドロドロしたものを想像してしまう。

美しい物語には悲しみや苦しみや切なさが必ず伴うように、
絆というものにも深い人間関係がゆえの、
醜く、恥ずかしい、まったく嫌気がさしてしまうような場面が
数多く散りばめられているのではないか。
家族という小さな舞台がそうであるように。

それでもそれ以上の絆を求めてしまうのが
今の世の中の潮流であるのなら、
現代人はまったく暇であるとしか言い様がない。
少なくとも僕はごめんだ。

先程の親友の話。
トモコとは彼の母親である。

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